■そもそも出口が逆側なのよ
公園内にもポツポツと遺跡が残っており、
右の建物なんかは木造の屋根が失われてる他は
ほとんど原型を留めてる感じですね。
左のような仏塔もかなりの数がアユタヤ市内に残っており、
こういった宗教的なものは同じ仏教徒のビルマ軍、
意外に破壊しないで残していったのか、という気もします。
ちなみに例の1767年のアユタヤ滅亡の戦争では、
すでにビルマ軍、アユタヤ軍ともに、
ヨーロッパ諸国から火縄銃どころか大砲まで輸入しており
かなり盛大な戦争をやっていた形跡があります。
ただし、今回街中を見た限りでは、
その手の兵器による弾痕らしきものはほとんど見られず、
ひょっとして市内が戦場になる前に決着がついてたんでしょうかね。
こちらは橋を渡った島に残されていた仏塔。
なんかいいなあ、と思ったり。
最後にワット マハータートを西側から見るとこんな感じ。
例の池に繋がる小川にかかる、ちょっと洒落た感じの橋の向こうの位置に
かつては巨大な主パゴダがあったわけです。
ちなみに前々回掲載したダイハツのミゼットが走ってる風景もここで、
これを撮影して立ち去ろうとした直後に
バタバタと走って来たのを見て、あわてて撮影したのでした。
その先でようやく道路に出て、ワット ラチャプラナが見えてくる。
こちらはご覧のように中央の巨大な仏塔が残ってます。
さっそく見て行こうと思うも、これまた入口がどこにも無い。
またこのパターンですか、と思うもとりあえずグルッと回ってみる。
完全に公園地区の外ですが、
これしかルートが無いので多分こっちであってるはず。
ちなみに後で確認したら、ワット ラチャプラナは
ギリギリながら公園の外に立地してるようです。
しかし、京都と比べるのはムリがあるにしても、
蘇州に比べても案内が無いに等しい、という状態は
同じ世界遺産都市として、もう少し検討の余地が
あるのではないでせうか。
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