■そこでも眺めは良かった
主砲の砲身に何か犬の首輪のようなものが付いてますが、
訓練時の簡易砲搭載の基部でしょうかね。
軍艦の主砲弾は高価な上に、さらに高価な砲身の磨耗を伴うので
戦艦や巡洋艦の主砲などは滅多に撃てず、その代わりに砲身につけた
簡易砲(外とう砲)を使って訓練を行なうのが普通でした。
(当然、桁違いに砲弾の飛距離が違うので、
主砲弾の威力に合わせた換算をし命中を判定した)
山なりに放物線を描いて飛んでゆく戦艦主砲と異なり、
直線で弾が飛んでゆく12cm砲の場合はもっと話は簡単で、
それこそ20mm機関砲でもくくり付けておけば、
命中の判定には十分使えたでしょう。
ただし12cm砲程度でそこまでやるか、というのは微妙なところで、
もしかしたら違う目的のものかもしれませぬ。
ついでにこの艦は浦賀船渠製なので、
どこかにその銘板でも残ってないかと思って探していたのですが、
何せなんにでも上からペンキを塗ってしまうタイ軍博物館(笑)、
それらしいものは見つけられず…。
その前からの眺め。
引き潮となっている遠浅のチャオプラヤー川河口部がよく見えます。
手前に見えてる穴あき板が例の主砲周りの鉄板、
その先のアヒルのクチバシみたいのが波除部。
その横から艦内に入る昇降口が。
ね、このガラス窓部までペンキ塗ってしまってるでしょ。
これがタイ式の軍事博物館の特徴です(笑)。
この扉、戦闘時は衝撃で開いてしまわないように固定するのですが、
どうも外部からネジ止めするように見えます。
そうなると沈没時などの脱出路には使えないわけで、
逃げるのも一苦労だな、と思ったり。
そこから艦橋を振り返る。
艦橋と第2主砲の間にやや空間があるんですが、
戦後の現役時代の写真を見るとここに何があります。
例の戦後改修で取り付けられたはずの40mm機関砲とかが
設置されていたのかもしれませんが、
残ってる写真がどれも不鮮明で、これまた断言はできませぬ。
下の笑ったロボットの顔みたいな部分が見学できなかった部屋部分。
その上の艦橋は見学可能なようなので、行って見ましょう。
ちなみに艦橋横に大きな青い札でメークロンの名が書かれてますが、
これ、博物館となった後に付けられたものではなく、
現役時、少なくとも戦後の現役時にはここにありました。
タイ海軍式の艦名表記なんでしょうね…。
さて、艦橋に上がるには、グルッと後部に回らないとなりません。
正面に見えてるのも換気用の空気取入れ口で、
こうして見ると、軍艦の艦上は、
密閉された艦内への空気取り入れ口だらけです。
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