■それは亀戸から
その鍋には、なんと東京亀戸(かめいど)の文字が。
亀戸の町、今では天神さまくらいしかありませんが、
1930年代には、こういった鋳物の鍋を造る町工場が多かったんでしょうか。
となるとこれも1937年製のオリジナル器具でしょうから、
ホントにタイの人たちの物持ちはいいなあ。
しかし、上下をネジ止めしてる、というなんとも重装甲な鍋ですね。
圧力鍋ではなさそうですが…
*****追記
掲示板にて、機関部から蒸気もらって調理を行なう
蒸気鍋ではないか、との指摘をいただきました。
反対側の出口から。
亀戸鍋の横の丸い壁は煙突のカバーで、
煙突のすぐ後ろに厨房があるわけです。
…これ、南国の海では相当暑かったのでは…。
ついでに写真に写ってるのは隣のカンボジアから観光に来た、
という4人組で、あれま、意外に国際的なんだこの施設、と思う。
日本と韓国に似た、あまり良い関係とは言いがたい(笑)のが
タイとカンボジアなんですが、結構、人の行き来はあるんでしょうかね。
一人、英語が出来る人が居たので少し話をしたんですが、
学生のグループ旅行で、この艦が何かは知らずに見学してたのだとか。
日本製の第二次大戦時の軍艦アルヨ、と説明すると、
へー、といった程度の反応でしたが、
60年間現役だったアルヨ、と言ったら
おお!とかなり驚いてました。
あ、東南アジア感覚でも異常なのね、その年数(笑)。
その裏。
間違いなく戦後製の大型洗濯機が置かれてました。
ただし、ここも床はタイル張りなので、
もともと洗濯室だった可能性は高いです。
アメリカ海軍の軍艦だと洗濯室には乾燥機がついてるんですが、
日本製でタイ海軍の運用、となると、
少なくとも就役時にはそんなもの無かったような気がします。
右側のラッキョ型のカバー部は煙突の正面側。
とりあえず、その横なら室内に干しても良く乾燥しそう。
…が、よく見るとこの煙突周辺、どうもかつて断熱材に使われていた
発ガン物質の石綿のような…
近年の英米の展示艦では、
通常、石綿を撤去してから展示するんですが
(ロンドンのHMSベルファストは長年一部に残っていたが21世紀に入ってから撤去)
タイの場合は、全く気にしてないのか、
それとも私の勘違いで、石綿ではないのか…。
さて、ここから先の艦首部は艦内構造に入り込む事になります。
艦首部は艦後半より背が高いので、直進してるだけで、
いつの間にか艦内に入り込んでる感じですね。
ドアは当然、水密ドアです。
その横にも床がタイル貼りの部屋が。
何も残ってないので、確かなことは言えませんが
左に見えてる黒い柱は煙突のようであり、
この先は士官の居住区だったので、士官用の厨房ですかね。
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