■そこにはヒマそうな海軍が
乗艦は前回見た謎の花輪付き子供兵隊人形の横のタラップから。
そこから上を見るとこんな感じで、
こりゃよく保存されてるぞ、と思う。
甲板上に出るとこんな感じ。
右側に見えてるのは連装式の魚雷発射管。
左手、兵隊さんが一人だけ見えてますが、実際は3人居ます。
そして特に何もせず、おしゃべりしてました(笑)。
その彼らの上が、かつての水上機置き場。
その魚雷発射管。
航海中はこの状態で、発射時にはこれを横に向けて
敵に向ってドカンと打ち出します。
筒部分の中に魚雷が入っており、
横にあるボンベから供給される高圧空気でこれを押し出して発射します。
手前に見えてる上だけカバーがある、クチバシのような部分の先端部、
蝶番のある部分から先は上に折りたため、
その下にある魚雷先端部の信管操作などができるようになってました。
ただし、あらゆる遠隔兵器の中で、もっとも低速な魚雷は
その照準(目標の未来位置予測)が極めて難しく、
通常は専用のアナログ式計算機、
すなわち射撃管制装置と、その操作担当者が居て、
ここではあくまでそこから言われた通りに設定して撃つだけでした。
が、この艦の場合、艦橋屋上に戦闘指揮所はあるものの、
それぞれの兵器間の連絡に必須の電話設備がありません。
艦内を見学してないので、断言はできませんが、
戦闘指揮所の装備からして、アナログコンピュータも無いと思われます。
よって、まともな射撃管制が行なわれてた形跡が見当たらず、
そうなると、どんなに強力な兵器でも当たりっこありませんから、
全てはただの高価なオモチャに過ぎません。
どうも兵器として不完全というか、あくまで主任務は訓練艦で、
戦力にはならないんじゃないですかねえ、この艦。
日本側も知っててこれを売ったなら、半分詐欺だろう、とも思います。
この発射管、詳細は不明ですが、台座旋回用のハンドルと操作用の席が
真ん中に一つしかないので、当時の駆逐艦などに積まれていた
53cm 六年式連装発射管のようにも見えます。
ただし、細部が微妙に変ですし、先に書いたように
タイ海軍は45cm発射管だと言ってるので、断言はできませぬ。
後ろから見るとこんな感じ。
横の高圧空気タンクから後部にパイプが繋がってるほか、
後部の装填ハッチとその閉鎖用のレバーなどを見て置いてください。
レバー、ハンドル類が金色に塗られてますが、現役の時からこうだったのかなあ…。
発射管内部。
上に見えてるのが誘導用レールで、魚雷の頭とケツの舵部上に、
ここに引っ掛けるフックが付いてました。
で、発射時には当然、頭部のフックから外に飛び出すため、
これが先に外れますが、その段階ではケツのフックはまだレールにはまってます。
どうなるかというと、後ろが引っかかってるため頭だけが下がり、
この結果、適当な下向きの角度が付いて、
その状態で魚雷は水中へと飛び込んで行く事になります。
こうしないと、水平に魚雷が飛び出してしまい、
腹から落下して、衝撃で故障、最悪破損してしまうわけです。
魚雷発射管の先端部が上にだけカバーがあるのは、
魚雷を下向きに落とすためなのです。
この発射管に張られていた1937年1月 渡辺鉄工所製の銘板。
とりあえず、現存する数少ない戦前の日本製兵器の一つでしょう。
英米の場合、戦後に押収したものが主なので、
1940年以前の日本の兵器はあまり残ってないので、
そういった意味でもタイの日本兵器類は貴重だと思います。
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