■メークロンの秘密

この艦は戦後の1954年に大規模な改修を受けてるのですが、
それでも建造時の装備の多くを残しております。
よって日本が作った大戦期の軍艦で、
唯一の生き残り、といえるのがこの艦となるわけです。

まず、その装備をざっと見ておきましょう。

ちなみに、後部第三砲塔周辺を除く艦上構造物は全て見学可能。
さらに下の写真でわかるように、船体後半部から甲板上を艦首に向って行くと、
途中から船体内部に入ってしまうのですが、
その艦首部の上部艦内構造まで見学可能です。

逆に言えばそこより下、機関室や弾薬庫は見れません。
どうも艦内の電気配線が艦首部にしかないようで、
それ以外の部分には蛍光灯などがないのです。
よって、窓が無い艦艇部では明かりが無くて見学不能なのかも。
当然、クーラーなんてものも無し。

ちなみに基本的な数字を挙げておくと

全長 85m(88m説アリ) 全幅 10.5m
総排水量 1422トン
最大速度 17ノット

といった辺りとなるようです。



@45口径 12cm砲 ×4門

HTMSメークロンの主砲。
単装式の12cm砲で、前後に2門ずつ、計4門搭載されてます。



このクラスの艦に12cm砲、アメリカで言ったら5インチ砲を4門積んでるのは
結構な重装備と言っていいでしょう。
砲弾のエレベータなどは無く、戦闘時は周囲に砲弾を置きながらの砲撃になったみたいです。
ついでに、この下の構造部で動力が見つけられなかったので、
ヘタをすると砲塔の回転は人力の可能性アリ。

後ろに見えてる艦橋上にこの艦の戦闘指揮所があるんですが、
そこと連絡する電話、射撃指揮装置が全く見当たらず、
どうやって戦闘をする気だったんでしょう、これ。
測距儀とかは戦闘指揮所にしかないので、
各砲の責任者が好き勝手にやっていたとも思えないですが…。

ちなみに、引退前の写真を見ると、少なくとも後ろに見えてる2番砲塔はそのカバー、
防盾(ぼうじゅん)を外していたようで、砲がむき出し状態になってました。
その他の砲塔については確認できなかったのですが、
若干、その建造時の状態維持に確信がもてない部分ではあります。
ただし、就役当時の写真を見ても、防盾はこれとほぼ同じようなもので、
外した後もどこかに保管してあり、展示あたって戻した、という可能性も高いです。

ついでに戦前の現役時代は砲身の根元部分に、
海水の浸入防止用となる白いキャンバス地のカバーがついてました。



この主砲、後ろから見ると何もないむき出し状態です。
日本海軍でこういった形の12cm砲となると水雷艇などに積まれていた
11年式単装12cm砲じゃないかと思いますが、確証はありませぬ。

一見すると防盾の装甲板、相当な厚さに見えますが、
アレは薄い板の縁を折り曲げて強度を確保してるだけです。
鋼板の厚さは数mm程度で、ヘタをすると12.7mm機関銃でも
撃ちぬけるんじゃないか、というものに過ぎません。
あくまで海水避け、最低限の爆風と破片避け、でしょうね。

で、なぜかこの艦の全ての砲塔は少し甲板から上に飛び出しており、
このため、写真のような操作員用の丸い足場が周囲に設置されていました。
設計ミスなのか、何か理由があっての事なのかわかりませんが…
(ただし後部第三砲塔だけは見学できなかったの違う可能性もあり)



A2連装 魚雷発射管

この艦のもう一つの武器、魚雷発射管で、
2連装式のものが左右に1基ずつ取り付けられてます。

なんだか見落としちゃいそうに小さいですが、ヘタをすると主砲より
こっちの方が強力な兵器だったりします。
ただし片側2発ずつしか発射できない、となると
確率勝負となる魚雷戦では、目標によほど接近しない限り
その命中は期待しにくいでしょう。



艦の左右にある2連装魚雷発射管。
これは間違いなく建造時のもので、1937年1月渡辺鉄工所、
と書かれたプレートが残ってます。
戦後も自衛隊用の魚雷発射管を造ってる会社ですね。

この時代で1400トンクラスに搭載された
2連装となると53cm発射管で、6年式かなと思うんですが、確証はなし。
タイ海軍によると45cm魚雷発射管だったともされてるので、
あの人たちの情報の信憑性を考慮しても(笑)
本人がそう言ってる以上、45cm発射管かもしれません。

これも周囲に運搬用のレール、装填用のクレーンが見えないので、
最初から2発入れっぱなしでそれを撃ったらオシマイ、の可能性アリ。
ついでに魚雷発射管制所が艦内に見当たらなかったんですが、
まさかここで目で見て直接狙いをつけて撃ってたんじゃあるまいな…。

全体的にこの艦、兵器を積んでるのはいいんだけど、
それをどうやって運用するつもりだったのかがよくわかりませぬ。
まともな射撃管制がないなら、どんな兵器も
ただの高価なオモチャなんですが…




B2連装 20mm機関砲

この艦の唯一の対空装備。
1937年就役という事を考えてもさすがに貧弱でしょう。
ただし戦後の1954年に大幅な改装が行なわれた時に、
40mm機関砲が3門、20mm機関砲が1門、
追加されたらしいのですが、展示では見当たらず。
もしかして公開に当たって就役時の姿に可能な限り戻したんでしょうか。



20mm連装対空機関砲は、こんな感じなんですが、これも形式不明。
そもそも建造時のものかもわかりません。
少なくともエリコン20mmでは無いと思うんですが…。

ちなみにこの台座、座れる上に、今でも自分で回せます(笑)。


***追記***

デンマークのマドセン社の20mm機関砲ではないか、との指摘をもらいました。
確かにそれっぽいので、追記しておきます。
タイの場合、空軍もマドセンを使っていたはずなので、その関係で採用したのかしらむ。



C戦闘指揮所

この艦も艦橋屋上が戦闘指揮所になっており、
ここには恐らく戦前の日本製と思われる測距儀が残ってます。


D水上機搭載部跡

戦前はここに水上機が搭載され、後部マストの前には
その回収、発進用(笑)のクレーンがありました。
1422トン級の艦でよくやりますねえ…

ちなみに発進用クレーンてなんだ、
というと、さすがにこのサイズの艦に
機体射出用のカタパルトは搭載できなかったため、
水上機はここに置いてあるだけで、発進時には、
これをクレーンで水上に下ろして、そこから発進したのでした。
それって実用性はほぼゼロでは…とも思いますが…。

クレーンはおそらく1954年の改装で撤去されたようですが、
水上機置き場(?)はほぼそのまま残ってるようです。

E後部操舵装置

ここは見学できないのですが、
この位置に艦橋と全く同じ操舵輪があります。
リバーティーシップなどでも、艦後部に予備の操舵装置があったので、
その類だと思いますが、軍艦の操舵装置で
雨ざらし状態のものは初めて見ました。

F爆雷・機雷投下装置

ここにレールがあって、艦尾から機雷を投下できるようになってます。
その横には爆雷の投射装置もありますが、
こちらは1954年の改修で追加されたものらしいです。



これが艦尾の機雷&爆雷コーナー。

左右のレールの上にあるのが水中の地雷ともいえる機雷で、
レールの上の台車を押して艦尾から投下して行きます。
そして水中で浮遊してるこれに敵艦が接近したらドカンとなるわけです。

待ち伏せ兵器の機雷は地味な印象がありますが、
第二次大戦における連合軍の戦略爆撃で、
極めて有力な兵器となったのが、この機雷です。

第二次大戦の戦略爆撃と聞くと工場への精密爆撃、
都市部への無差別爆撃ばかりが注目されますが、
ドイツ、日本共にボディブローのようにジワジワと体力を
奪われたのが、アメリカ軍の爆撃機による機雷の水上輸送網封鎖でした。

ドイツの場合、鉄道に次ぐ輸送網が国内に張り巡らされた運河でした。
これを機雷で完全封鎖されて、国内の工業生産力はガタガタになります。
同じ状況だったのが日本で、都市への無差別爆撃が始まったのと同時、
1945年3月からB-29による大規模機雷散布が始まります。
南方各地、そして国内でも、輸送を海上輸送に頼っている部分が大きく、
機雷による封鎖で、ジワジワと首を絞められて行く事になったのでした。
(鉄道より船舶の方が大量輸送には向いてる)

これららは全てハロルド・ジョージによる
新戦略爆撃論に基づいて行なわれたもので、
アメリカの戦略爆撃として生産工場への精密爆撃、
そして後半の都市部への無差別爆撃だけを見ていると、
完全な片手落ちになりますから、要注意。

で、そのレールの間、中央部にある傾いた装置が
戦後に追加されたとされる爆雷発射装置で、
こちらは水中の潜水艦を攻撃する兵器。

中央で金色の丸い分がついてる筒状の物体が爆雷です。
その下の斜めの筒状の部分はその発射装置。
これでポーンと、遠くまで飛ばして潜水艦がいるはずの位置に投下します。



ちなみに三本式のアンテナマストなども一部改修されてるようですが、
ざっと見た限りでは航海用のレーダーしか追加されてません。
これも展示に当たって外されてしまったのか、
それとも、戦後も射撃管制用どころか、
対艦、対空レーダーは無いままだったのか…。

といった辺りが、主な装備となります。
ではいよいよ艦内に突入してみましょうか。


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