■タイの近代
さて、19世紀から20世紀の東部アジアにおいて、
全土が完全に殖民地化されなかった国は
日本、中国、タイの三国のみでした。
(モンゴルの判断は難しいが、共産革命までそもそも独立国ではなかった、
と考えるのが公平な評価だと思われる)
ただし日本は全くその領土を失ってませんが、
中国とタイは割譲という形で領土の一部を失っています。
中国は阿片戦争以後、複数の都市を欧米に抑えられ、
さらに日本の侵略によって一時的ながら多くの土地を失っています。
そしてタイ、当時のサイアム王国はインドシナ東部、
現在のベトナムから勢力を伸ばして来た
フランスと1893年に戦争となってこれに敗北、
(フランス サイアム戦争/Franco-Siamese
War)
当時支配下に置いていたラオスとカンボジア西部の地域を
フランスに割譲する事になっています。
ちなみにタイは第二次大戦中(日本参戦前)にも
フランス相手に戦争をしており、彼らにとってもっとも戦った国の一つが
フランスだったりします。
ただし、19世紀末にはサイアム(タイ)王国のすぐ西、
ビルマ(ミャンマー)辺りまでイギリスの植民地化が進んでおり、
このまま行くとフランスと衝突する事になるのは時間の問題でした。
タイを挟んで西のビルマ(ミャンマー)はイギリスの植民地、
東の三国はフランスの植民地、というのが20世紀になった瞬間の
この地域の情勢で、タイはその緩衝地帯として機能していたわけです。
そして、それ以外の地域でも、すでに両国間の植民地には
火種が多かったため、1904年にイギリスとフランスの間で
両国の植民地の現状維持を確認する、
英仏協商(Entente
cordiale)が結ばれます。
これは両国による世界支配の合意書、みたいなもので、
帝国主義国家同士の、最悪の協定と考えていいでしょう。
ちなみに1904年4月に成立、ということから
カンのいい人は気が付くかもしれませんが、
この協定には日露戦争(イギリスは日本とフランスはロシアと同盟)に
巻き込まれて両国が戦争状態にならない、という意味もありました。
つまり、日本が思ってるほど、日露戦争時のイギリスは
日本側についていたわけではありませぬ(笑)。
ここら辺りは実にしたたか、というよりイヤラシイですね。
そしてこれは長年の宿敵だったイギリスとフランスの強固な同盟の成立でもあり、
後の第一次世界大戦の英仏連合にまで繋がってゆくわけです。
最終的には21世紀の今も、この協定から続く英仏の同盟関係は
維持されてる、という見方もできるでしょう。
以下、脱線。
この協商は当時ようやく帝国主義に目覚めて海外進出を狙ってた
ドイツとアメリカが英仏によって締め出された、という面も持っているのに注意。
それでもこの協商の前に、アメリカは自国の庭とも言えるキューバを押さえ、
真空地帯ともいえた太平洋でハワイとフィリピンを押さえていた。
ところが、そもそも海洋国家でなかったドイツは完全に出遅れる。
そして、この協商でもう一つの真空地帯だったのが中国であり、
この歪みが結局第二次大戦終結まで続く事になる。
以上、脱線終了。
とりあえずこの協定の中で、東南アジアでの両国の植民地の現状維持、
そのための緩衝地帯としてサイアム(タイ)王国を
そのまま残すことが決められ、この結果サイアム(タイ)は独立を維持できました。
なので、タイが完全に植民地化されなかったのは、
イギリス、フランスの都合でして、タイの努力の結果ではありません(笑)。
ただし東南アジアの中でもっとも近代化が進んでいたのがタイだったのは事実です。
例えば、1849年のニューヨーク トリビューン紙には、
タイが自国技術だけで蒸気船を完成させた、という記事があります。
日本における蒸気船の建造は記録に残ってる限りでは
1850年代以降ですから、記事が事実なら、
この段階ではタイが先を行っていた、という事になります。
他にも幕末のアメリカ公使として有名な
ハリスの日記にも同じような記述が見られます。
彼は日本に来る前にサイアム(タイ)王国にも立ち寄って
1856年4月から開国交渉を行い、その間の日記を残しているのです。
それによると、バンコクにはタイが自国で開発した小型蒸気船がいくつもあった
と書いており、実際、彼はその小型蒸気船に乗っています。
(ただし蒸気機関そのものはアメリカ製だったとしてる)
実際、その後も第二次大戦前には国産複葉機などの製造も行なっており、
タイ、侮りがたし、という部分はあったりするのです。
王立空軍博物館に展示されているタイ国産、パリバトラ(Paribatra)の複葉機。
詳しくはまた記事中にて。
さて、ここでもう一度、タイ周辺の地図を確認しておきましょう。
その後、タイは第二次大戦でフランスがドイツにケチョンケチョンにされ、
さらに日本軍がフランス領インドシナ(現在のカンボジア・ラオス・ベトナム)に
強引に侵入、そこに駐留したのを見て、
こりゃチャンスだとフランスに奪われたカンボジアの奪回を計画します。
(ここら辺り、当時の日本軍と同じ火事場泥棒の発想ではあるが…)
この結果起こったのがフランス タイ戦争(Franco-Thai
War)で、
両者とも決定的な戦果が出ないまま(ややフランス有利だったが)、
日本の仲介によって休戦協定が結ばれます。
この時、日本はタイを自陣営に引き込みたい、という願望があったため、
タイに有利な条件で講和が成立、カンボジアの南西部の
タイへの割譲が決定される事に。
が、結局、この時奪った領土は終戦後にフランスに取り返され、
そのままカンボジアが独立した後もその領土に入ってました。
ここら辺りが現在も続くタイとカンボジアの対立の火種の一つですね。
その後、日本が太平洋戦争を開始した時に、
イギリス領のビルマ方面に強引に通り抜けようとタイ本土南部に上陸したため、
これと交戦したものの、後に日本軍の上陸、通過を認めています。
同時にビルマ側のイギリスもタイに侵入してきたため、
これと戦闘になり、さらにイギリスはタイ本土への空爆までやってしまったため、
タイは日本側に立って連合国に宣戦布告、つまり枢軸国として参戦します。
ただし、国内に反日組織が存在し、これが終戦間際から
英米に対して交渉を続けた結果、最終的に宣戦布告は無効とされ(笑)、
どういうわけだか詳細は不明ながら、
タイは枢軸国の敗戦国に加わらずに済んでます。
実際、タイの博物館における歴史展示を見てると、
あれ、タイって連合軍だったっけ?と思わせるような展示があり(笑)、
どこの国でも正しく歴史を伝えるってのは大変だなあ、と思ったり。
さて、大戦中は日本によってフランスから奪われていたインドシナ三国ですが、
その間に日本側の打算によって(間違っても善意ではない)
ベトナム、ラオス、カンボジアが、それぞれフランスから独立宣言してます。
が、何を勘違いしたのか、オレって戦勝国様だぜ、という顔して帰ってきた
フランスは、以前の植民地状態を回復しようとしたため、
改めてフランスに対する独立戦争が起こることになるわけです。
(カンボジアは比較的穏便に独立してるが)
よって本来はアホのフランス相手に行なわれた独立戦争だった
インドシナ戦争ですが、フランスの手際の悪さもあって、
中国&ソ連による共産主義活動がジワジワとこの地域に浸透してきます。
(ベトナム北部は中国と国境を接しているのに注意)
よって独立戦争の結果、フランスを追い出したベトナムでは、
共産主義国家の北ベトナムと、アメリカの傀儡政権と言っていい
南ベトナムとに分断されてしまいます。
そこに金になる戦争の種を見つけたアメリカ軍とアメリカ軍事産業の
スカポンタンどもが介入、20世紀で最も無意味な戦争の一つ、
ベトナム戦争が起こることになるわけです。
そして、この無意味な戦争で大きな利を得たのが隣国のタイでした。
王国であるタイは本質的に共産主義国家がキライで、
そしてこのインドシナ三国の真横、という立地から、
アメリカの前線基地になってゆきます。
東南アジアで、これほどの装備を持っていたのか、
と驚く航空兵力の多くは、この時、基地の提供と引き換えに、
アメリカから援助されたものばかりです。
さらにアメリカ軍の補給とレクリエーション基地として利用された
バンコクはこれによって、東南アジア最大の魔都へと変貌して行きます。
といった辺りがタイの基礎知識ですね。
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