■エッフェル変身、塔!
まあ、ここまでくれば到着した、と言っていいでしょう。
暮れなずむエッフェル塔。
でもって、この後、塔の下の広場に行くまでに、
なぜかやたらとシャッター押してください、と頼まれまくり、
結局3回も記念撮影に立ち会うハメに。
見た目が貧相な相手なら、いくらでもシャッターを押してと頼んでいい、
といったルールとかが、パリ周辺にはあるんでしょうか…。
ここまでくるとLX-5の16:9画面でも、全景を入れるのがギリギリとなってきます。
かなりデカイな、というのが第一番の印象。
まあ324mありますから、現代の目でみても巨大建造物なわけです。
これを1889年のパリ万博で建ててしまった、というのは大したものだな、と。
(この下の広場が会場の入り口のゲート。1900年の万博でも同じ)
日本じゃ明治期、浅草の12階こと凌雲閣がその直後の1890年に開業してますが、
東京で最も高い建築物だったこれの高さが約50mでございました。
余談。
1900年のロンドン留学の時、夏目漱石は、スエズから地中海に入り、
イタリアがら陸路、パリに来て、ここで約1週間ほど滞在します。
この時、パリを観光し、彼が初めて見る西洋の大都市に驚愕し、
夏夜の銀座を50倍くらい立派にしたようだ、と述べた上で、
巴里(パリ)の繁華と堕落は驚くべきものなり、と日記に残しています。
これが1900年ですから、実は博覧会の開催中だったわけです。
よって、彼は1900年のパリ博覧会を見学しており、このエッフェル塔にも上ってます。
夏目漱石は、エッフェル塔を知っていたのです。
なので1900年のパリ万博は貞奴、新橋芸者、そして夏目漱石と言う、
いろんな意味で日本の文化怪進撃、という不思議なイベントでもあったのでした(笑)。
ついでに洋画家の浅井忠もこのタイミングでパリに入っていて、
漱石と会ってますから、まあ、1900年のパリと言うのは不思議な空間だったのです。
さらに余談ながら、漱石はルーブルにも行ってるのですが、
これについては特に感想を述べてません。
ただ、後の小説、永日小品の中で一瞬、ダビンチとモナリザを登場させてるので、
この絵は見ていた可能性があります。
以上、脱線でした。
ようやく到着。
さて、下はご覧のような空間になっており、どうやって上に登るんだ?
と思ったら、どうやら4隅の脚が入り口になってるようです。
右側の脚の下に見えてるのがチケット売り場。
そこら辺から上の方を見ると、なんだかえらく細かい鉄骨というか
膨大な量の鉄棒で構成されてるのがわかります。
まあ1899年の段階で、よくまあこんな巨大建造物を造ったもんです、はい。
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