■それは初めてみるものばかり



その横に展示してあったツンダップ DB200バイク。
よくは知りません、はい。



実は現地に来るまでこんな機体をRAF博物館が持ってるとは知らず、
ちょっと驚いたのが、これ。
イタリアが第二次大戦時まで使ってた複葉戦闘機、フィアット CR42ファルコ。
名前のファルコはもちろん、イタリア語で鷹ですね。
ちなみに解説板によれば一部は1950年まで使われてた、
との事ですが、ホンマかいな。

1939年初飛行ですからMe109はもちろん、スピットファイアよりも新しく、
P-38やゼロ戦と同世代の戦闘機です。
が、その構造は鋼管で組み上げたフレームに例の羽布貼り、
そして主翼は複葉という機体になってます(笑)。
ついでにイタリアで最も多く造られた戦闘機は、実はこれです。
まあ一番多いと言っても、そこはフォードの洗礼を受けてないイタリア、
せいぜい1800機前後(正確な数は不明)なんですけども。

この機体が本格的に投入されたのがドイツの尻馬に乗っかって始めた
対フランス戦で、ほとんど戦闘らしい戦闘がないまま終わってしまうのですが、
なぜかこれでイタリアは自信をつけてしまい、
ドイツ空軍の支援を目的に編成されたCAI(Corpo Aereo Italiano)の
主力戦闘機として、CR42を爆撃機とセットで戦場に送り込みます。

で、送り込まれたドイツとしても対応に困ったようで(笑)、
事実上、すでに終わってた対イギリス爆撃にこれを回します。
この結果、この複葉機は護衛機として対イギリス爆撃に参加するのですが、
ハリケーン相手にも一方的にやられる、という状態でした。
結局、1940年の11月から作戦を開始するものの、
どうも3回前後、昼間爆撃をやっただけで、
後はウヤムヤになってしまったようです。

CR42、キャノピーのない開放型のコクピットですから、
11月のイギリス上空では相当寒かったんじゃないですかね…。

そんな中、この機体、まだ新品の1940年製シリアル番号MM5701は
派遣されていたベルギーから11月11日に出撃、
イギリス上空でエンジントラブルに見舞われ、
不時着する事になったわけです。

ちなみにパイロットのサルバドリ(Salvadori)さん(23)は捕虜になり、
イギリスで尋問を受けるのですが、その質疑応答の中で、
「これでオレの戦争は終わりだ、やったね!
上官は気に食わないやつだし、ドイツ人はキライだし、ベルギーの天気は陰気だし、
なにより連中のメシのマズイこと!いやもう、ハッピーだぜ!」
といったコメントを、本当に残しています(笑)。

イタリアの皆さん、戦争には向いてないんでしょうね…



これも貴重なドイツのメッサーシュミットBf110のG-4。
ちなみにここの解説板でも、ホームページでも
G-2と書かれてますが、間違いです。
この機体は終戦時にデンマークで鹵獲されたものだとか。

これまた6000機以上造られながら現存機に恵まれない機体。
ドイツのベルリンの博物館にも1機ありますが、
あれは複数の残骸を集めて造った
ものだったはずで、まともなコンディションで残ってるのは
このRAF博物館のG-4だけしょう。
ただし他にデンマークに個人所有の機体がある、と以前から言われてますが、
私はまだこれの写真を見たことがありません。
さらにイギリスの登山鉄道の駅に、
なぜかコンディションのいい胴体が展示されてる、
という話もあるんですが、これも写真等、見たことがないのです。

G-4はBf-110が普通の戦闘機としては使い物にならん、
と判明したあと、夜間戦闘機に改修されたタイプです。
戦闘機としてはダメ→夜間戦闘機へ、と言う流れは
当時の世界中の双発戦闘機に起こった現象でした。

夜間戦闘機は、基本的に爆撃機だけを相手にするから
運動性能は低くてもよく、レーダーを積むスペースがあって、
さらにレーダー操作員が乗り込む座席がある機体、
となると双発戦闘機は向いていたのです。




その横にはドイツのオイル運搬車が。

上にポンプの取手みたいなのが付いてますから、
オイルは手動で入れてたんでしょうか。
ついでにBf-110の主翼はルッサー時代のメッサーシュミットの設計らしく、
四角四面なデザインとなってるのがわかります。



その前に展示されてたドイツのエンジン、ダイムラーベンツのDB605A。
ドイツのエンジンは倒立型、つまり下側にシリンダーブロックのあるものが多く、
ご覧のようにエンジンの上側はスッキリした状態、
その代わり下半身マッチョになってます。

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