■本館ラストスパート
おなじみアメリカのその他大勢機ことカーチスP-40のN。
ただしこの機体、イギリスの国籍マークをつけてるので
イギリス名のキティホーク IV(4)と書かれてました。
ホークシリーズでアメリカの機体なんだから、
アメリカの地名でキティホークでいいや、となったのかもしれませんが、
それはカーチスさんの最大の敵、ライト兄弟初飛行の地だったりするのは、
ナチュラルなボケなのか、狙ってやったイギリス人の皮肉なのか…。
アメリカ参戦と同時にドカンと投入されたのがP40(キティホーク)で、
1942年1月以降、イギリスは実に3000機以上のP-40を
アメリカから貸与されたとのこと。
主にアフリカ戦線から地中海あたりで使ったようですが、
そんだけあれば数の力で押し切れてしまうような気も。
原型となった空冷型のP-36の初飛行が1935年、Me109と同世代機なんですが、
性能的には可もなく不可もなく、という感じがあります。
まあ、この機体にも描かれてますが、シャークマウス(サメの口)塗装が
世界一似合う機体である、というのは間違いないでしょう(笑)。
この機体はニューギニアで放置されていた残骸を改修、
カリフォルニアのチノにあるMilitary
Aircraft Restoration
Companyが
レストアしたもの、との事です。
チノの飛行場といえばプレーンズ オブ フェイムが有名ですが、
これはその横にある別の会社の方みたいです。
ブリティッシュ エレクトリック キャンベラ PR3。
アメリカも採用した傑作ジェット軽爆撃機、キャンベラの写真偵察型。
高速で機内スペースに余裕があるジェット爆撃機は
偵察機に転用されるケースが多く、
アメリカでもB-47の偵察型が造られてますね。
このキャンベラもイギリスだけで782機も持ってたそうで、
戦後、財布が空っぽだったイギリスにとって、
軍事費の負担は悪夢としか言いようがないものだったでしょう。
変な話ですが、1945年の段階でさっさとソ連をぶっ潰してしまっておくのが
結局一番安くついた、という事になったわけです。
1945年、ドイツ降伏の段階で、イギリスもアメリカも疲れ果てており、
ソ連の暴挙の多くに目をつぶり、戦争の終了を選びます。
(日本の事は少なくともイギリス人の眼中にはない(笑))
この結果、一時的には経済的、人的負担が軽くなりました。
が、そこで楽をした結果、以後40年以上にわたり
対ソ連のために発生する膨大な軍事費の負担で、
イギリスは二度と生き返れない経済破綻を迎えることになります。
(皮肉にも敗戦国の西ドイツは軍備が制限されて破綻を免れる)
戦争は褒められた行為ではありませんし、
やらないにこした事はありませんが、
やるべき時にやらないと、後でさらに酷い事になる、
というのはヒトラー相手に弱腰外交で散々な目にあったイギリス、
学習してなかったんでしょうか。
はい、イギリスの無茶ジェット戦闘機、BAC ライトニングのF6。
迎撃戦闘機として運用されました。
後ろのジェット排気口を見ると二つありますが、これが縦に並んでます(笑)。
世界的にも珍しい縦2段重ねのエンジン配置なのです。
イギリス空軍最初の超音速戦闘機だったのですが、一目でいろいろ無茶してるなあ、
というのがわかる機体で、うーん、どうなんでしょうね、これ(笑)。
1960年から配備が開始、1988年まで運用が続けられた、という事ですから、
イギリス空軍での評価は悪くなかったのかもしれません。
で、この機体もデブに見えますが、そうでもない、というのは
2日後のコスフォードで明らかに。
ついでに背中が膨らんで見えるのは、手前の主翼の上(笑)に
増加燃料タンクが積まれてるからです。
なにせギリギリの設計だったようで、他に積む場所がなかったとか。
(主翼下面は脚の収納スペースで占められ、何も積めない…)
最後は練習機のデ・ハビラント カナダの初等練習機、チップマンクのT.10を。
独特の愛嬌がある機体ですが、これもタイガーモスの後継機とされており、
イギリス、初等練習機だけで何機持ってたんでしょう…。
本館の見学はこれにておしまい。
で、その出口に飾られていた1/5スケールのスピットMk.Iの金属模型。
なんか唐突に飾ってあったので、寄贈されたのはいいけど置く場所がなくて
ここにとりあえず放り出してある、という感じがしなくもなく…
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