■大英帝国は戦うのだ



その北岬沖海戦(Battle of north cape)の戦闘記録のオリジナル。
右下にある赤いお寺マークがシャルンホルストの沈没地点なのですが、
これ、どの線がどの艦なのか、時間的経過がどうなってるのか、ほとんど説明がないので、
イマイチよくわからん、という内容になっております。



もう少し判りやすいモニターによる説明(笑)。
この海戦はイギリスからソ連に送られる援助物質を運ぶ輸送船団(Convoy)の
殲滅を目指し、ノルウェー北部の港から
ドイツの戦艦シャルンホルストと駆逐艦艦隊が出撃した事から始まります。

これを船団護衛していたイギリスの巡洋艦艦隊、
本艦、つまりベルファスト、ノーフォーク、シェフィ−ルドの3隻が
迎え撃つ形になり、その戦端が開かれる事になるのです。

図で上の方を左右に横断してるのが輸送船団と巡洋艦三人組の航路。
(戦闘で赤い線の巡洋艦が船団を離脱、残りの輸送船団はそのまま東に逃げ去る)
下のほうからまっすぐ上に向かってるのがドイツのシャルンホルストと愉快な仲間達で、
戦闘開始後の移動は黄色い線で示されてます。
両者が運命の会合を果たして、戦闘によってグルグルになったのがこの13時半の段階。

ところが、実はイギリスの護衛艦隊はもう一隊いて、
戦艦デューク オブ ヨークと巡洋艦ジャマイカ、駆逐艦4隻からなるものでした。
それが輸送船団の南側を並進していたのです。
上の図だと下側、陸地沿いを東に進んでる艦隊です。
が、シャルンホルストはこの第二艦隊の存在に全く気が付いておらず、
港に逃げ込もうとして全力で南下した結果、
最悪にステキなタイミングで強力な敵艦隊の真ん前に飛び出すハメになるのです。
(ドイツの駆逐艦は全く別ルートで逃げてる)

この海戦はあらゆる面でシャルホルストに運がありませんでした。、
シャルンホルストはまず巡洋艦の艦隊と交戦、ここでレーダーを損傷してしまいます。
(おそらく索敵レーダーだと思うが詳細不明)
そして、この海戦ではこれが致命的なポイントとなってゆきます。

この海戦は朝の9時から夕方6時過ぎまで続いたのですが、
北岬は北緯70度を超える場所であり、戦闘が12月26日だったのに注意する必要があります。
実際の戦闘地点は北緯72度より北だったはずで、そうなると
冬至直後のこの時期は、一日中、太陽は水平線の上に出ないか、
出たとしても正午前後に一瞬顔を出す、という程度です。
つまり、一日中太陽が昇らない季節に入ってます。

なので戦闘は常に薄暮の中で行われ、午前10時〜午後2時あたりを除けば、
ほとんど夜間戦闘に近い状態だったはずです。
さにら加えてこの日は天候も悪かったのでした。
艦上からの肉眼による索敵は不可能に近い状態だったのです。

そんな中でシャルンホルストの存在をすでに知ってる
南側のイギリス艦隊にはレーダーがあり、真っ暗闇の中でも敵の位置を把握してました。
対するシャルンホルストは、敵の存在すらしらないまま、暗闇の中を進んでるわけで、
そしてこちらにはレーダーもありませんでした。

両者は周囲が真っ暗闇となった午後遅くに接触します。
その結果、戦闘は一方的にイギリス艦隊有利のまま進むことになるのです。

シャルホルスト側の射撃管制レーダーが生きていたのかがわからんのですが、
戦闘経過を見る限り、これも死んでいたと思われ、
そうなると先に書いたように、どんなにでかい大砲積んでても、まともに撃つことが出来ません。
レーダーで正確な距離を測り、照明弾で照らし出して方位も測定したイギリス側の砲撃による
ワンサイドゲームとなってしまうわけです。

実際、この後はイギリス側が数の優位もあって一方的有利な形で戦闘を進め、
最後は脚が止まったシャルンホルストに
駆逐艦が肉薄して魚雷攻撃をかけ、これを沈めてしまいます。

この戦いは、レーダーが極めて重大な役割を果たした戦闘だった、
という点で、近代海戦史上、重要なものと考えていいでしょう。

でもって、先にも書いたように、この海戦は12月26日に行われました。
そんな季節に北緯72度の海に投げ出されては助かる可能性は低く、
シャルンホルストの1900名を超える乗組員のうち助かったのは
わずかに36名という悲惨な結果になります。

(余談だがなぜかドイツの戦艦は沈没時(戦闘損失の3隻)の戦死者が妙に多い傾向がある。
同じイギリス海軍との海戦で沈んだビスマルクも114人しか助かっていないし
ノルウェーのフィヨルドに停泊中に沈められたティルピッツも1000人を超える犠牲者を出している。
ティルピッツは転覆してしまったという不運もあったが、何か艦内の構造、
あるいは非常時の脱出方法に致命的な欠陥があったんじゃないだろうか)



参考までに私も初めて見たので、当時のイギリス海軍のレーダー画面を載せときます。

Aスコープなので極初期の警戒(索敵)レーダーかと思ったんですが、
左側の距離の目盛りが12000まである。
これが海里(nm)だとすると20000km先まで探知出来てしまう事に(笑)。
そりゃ無茶なので、これは射撃管制レーダーの画面でしょうね。

英米海軍が砲撃に使う単位はヤードだったはずなので、
それだと大体10km前後の距離となります。
ただしこうなると、今度は巡洋艦クラスの射撃管制レーダーとしても、
ちょっと探知距離が短すぎます。

が、この手のレーダーは目標の大体の位置を知るための長距離モードと
より正確な距離を知るための短距離モードに切り替えられるはずで、
右側にある18まで切られた目盛りが長距離用の目盛りじゃないかと。

この数字が最大18で、単位が普通に海里(ノーチカルマイル)だとすると約32.5km、
戦艦クラスの主砲の射撃管制をやるのにも十分な距離です。

ただし、イギリスの射撃管制レーダーはアメリカよりやや出遅れていた感じがするので、
これも実は単なる索敵レーダーだ、という可能性もあります。
この画面だけでは、あくまで推測の範囲を出ませんので、ご了承のほどを。

写真では二箇所、心電図のように飛び出してる部分がありますが、
あれがレーダーの反応があった場所で距離0と2200の辺りに反応が出てます。
距離0は恐らく自艦のどこかで電波が反射してしまってるものでしょう。

なので、そっちは無視して目標までの距離は約2200ヤード、と読むわけです。
距離約2000m、こんな近所に敵は居ないでしょうから、これは僚艦でしょうかね。
ただし、これが対空射撃管制レーダーだとすると話は変わってきますが…。

ちなみに、画面に下に敵は南東から接近中、と書かれてますが、
原理的にレーダー単体で相手の方向を知ることはできません(笑)。
あくまで距離を測る機械なのです。
なので方向を知るにはその時、レーダーアンテナが向いてる方向を調べるか、
電気的に電波を飛ばす方向を制御できる
フェイズド アレイ レーダーを採用するかしかありません。




さて、そこの見学を終えると、新たなる下に降りる階段が。
むむ、この先には何が。



ジャイロ コンパス室だとの事。
とりあえず行ってみましょうか…
という感じで、今回の本編はここまで。


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