■こんな展示もありました
さて、この第2階層左舷側、恐らく食堂か何かだったんじゃないか、
と思われる空間が、この手の博物館でおなじみ、パネルを中心にした展示コーナーとなってました。
昨年のミンスク博物館には、あまりいい思い出がありませんが(笑)、
ここはチャンとした展示とだと前回の訪問で知ってましたので、安心して見られる。
でもって、入り口のこれ、どっかで見た写真だと思ったら、日本の巡洋艦 最上級ですね。
どうもこの最上クラスの登場に衝撃を受けたイギリスが造り出したのが
ベルファストを含む軽巡洋艦タウンクラス(
Town class )だった、という事らしいです。
海洋王国イギリスを示す展示。
1937年11月24日、総トン数3000tを超えるイギリス船籍の船がどこに居たかマップ。
黒い点が船で、赤いランプが点灯してるのが、イギリス連邦の主な貿易港。
砂糖に群がるアリのようにイギリス船で溢れる大西洋に注目。
なるほど、こんだけのルートがあるなら、ドイツが適当に通商破壊の
軍艦やらUボートを送り込んでも、それなりに成果はあるわけだ。
次にスゴイのが地中海から紅海で、インドからアジア方面への貿易ルートになっており、
こうして見ると、地中海の入り口、ジブラルタル半島をイギリスが死守して来た理由がわかりますね。
そして第二次大戦でフランスが降伏後、対岸のフランス領アルジェリアに居たその主力艦隊を
完膚なきまでに叩きのめしてしまったのも、この地中海の安全のためです。
もしドイツがこの艦隊を使って地中海で通商破壊をやったらエライことになる、と考えたわけで。
ちなみに、このドイツに降伏したフランス海軍との間で行われた海戦、イギリス側の呼称で
マース・エル・ケビア攻撃(Attack
on
Mers-el-Kébir/フランス語読みだと多分メーゼ・ル・ケビア)は
イギリス側が戦艦2隻に空母が1隻、フランス側が戦艦3隻という、
イギリスが大戦中に経験した最大級の戦力の海戦となったのでした…。
フランス艦隊は湾内停泊中のとこを襲われて、壊滅的な打撃を受けるものの、
戦艦のうち1隻は脱出に成功、イギリス海軍は空母を持ちながら、
これをアッサリ見逃してしまうのです。
やっぱり近代海戦には向いてない海軍だと思います。
ベルファストの主砲砲塔の図面のようです。
下の弾薬庫から伸びてる黄色い筒が例の主砲砲弾の巻き上げ機。
ベルファストが参加した北岬沖海戦で沈められたドイツの戦艦、シャルンホルストの模型。
ちなみに下に敷かれてるドイツの軍旗はホンモノらしいんですが、
これがどういった由来のものかは不明。
北岬海戦の戦艦主砲弾比べ。
右側がシャルンホルストなどドイツの戦艦で使われた28cm砲の主砲弾で重量330kg。
左がイギリス側の戦艦、HMSデューク オブ ヨークに積まれてた
14インチ(約35.2cm)砲の砲弾でこっちは721kgあるとの事。
パッと見そんなに変わらない大きさに見えますが、14インチ砲の砲が当然、
二まわり以上、胴体が太くなってます。
(ただし弾の種類によって重量は変わる。
28cm砲は被帽付徹甲弾(APC)らしいがイギリスの14インチ砲の種類は不明)
さすがに51kgの巡洋艦の主砲とは別世界です。
14インチ砲クラスの砲弾ほどの重量になると、第二次大戦期の艦載攻撃機には積めませんが、
そんなデカイ爆弾使わんでも戦艦の一つや二つ、沈めちゃうのは問題ない、
というのはアメリカ海軍が日本海軍相手に、イヤンてなくらいに証明してしまってるわけで
結局、戦艦の場合、その使いにくさの方が勝ってしまうのでした。
(ちなみにドイツの28cm砲クラスの爆弾ならF-4Uコルセアでも2発搭載できる)
余談ですが、ドイツの戦艦は一隻も現存しませんが、
戦艦グナイゼナウの28cm主砲砲塔を地上の要塞に移設してしまったものが
今でもノルウェーのaustratt要塞(ノルウェー語は読めん…)に残ってます。
いつかは見てみたいものです。
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