■世界の一部は計算でできている


さて、では2階(日本式だと3階)の残りの展示を観て行きましょう。
展示面積はやや狭いものの、艦船と並ぶこのフロアの主要な展示となってるのがこれ。



A history of computing(演算の歴史)です。

computingというタイトルから、なんとなくコンピュータを扱ってるのは判ると思いますが、
ちょっとだけややこしい事に、ここでは、
計算機(calculator)とコンピュータを別の機械として分類しています。

どう違うのか、というと、単に計算の答えを出すだけなのが計算機、
もう少し複雑な関数などを扱えるのがコンピュータ(演算機)となるようです。
なので、ソロバンや電卓は計算機であり、コンピュータとは別物、となります。

これが一般的な分類なのかは、正直、ようわかりません(笑)。
そもそもCompute(演算)という英語はあまり一般的ではなく、
英語圏の辞書でも、中学生あたりが使う初歩的な英英辞典だと載って無い事があります。

どうも第二次大戦あたりで、単なる計算より複雑な事をやるんだから、
計算機って呼び方はやめようぜ、となったようで、
それ以前だと、あまりComputeという単語は見かけないのです。

なので、コンピュータと計算機の違いは、機能ではなく、
単に時代の差ではないか、という気もしますが、
とりあえず、ここではこの博物館の表記に従う事にしましょう。



というわけで、まずは“計算機”の世界から。
中央付近にあるカラフルな棒は算木で、その右側にアバカス類が勢ぞろいとなってます。
一番右端は、電卓ですね。

で、アバカス(abacus)とはなんぞや、というと古代メソポタミアが発祥と言われる“計算板”です。
板の上に一の位、十の位、百の位、と線を引き、その上に石を置いて計算に使いました。
つまり、ソロバンの原型です。

画面中央やや右、将棋盤のような木の板の上に
赤い珠が置かれてるのが、そのアバカスの原型に近いもの。
これが東アジアに来ると、奥で壁からぶら下げられてるソロバンのオバケみたいな装置となり、
日本に来ると、その下にあるようなソロバンそのものになったわけです。
日本のソロバンは中国からの輸入文化ですが、
その原型は紀元前2000年とも言われるメソポタミア文明にまで遡るわけで、
おそらく中央アジア経由で中国に入ったのでしょう。

ちなみに、これは東にだけではなく、西にも向かい、ギリシャ、そしてローマでも使われました。
が、結局、0の概念とアラビア数字(インド数字)があれば、
暗算か、あるいは何かに書いて計算すりゃいい話だよな、となり
東アジア以外では、その後はあまり使われた形跡がありません。
(ローマ文明圏内でこれが普及したのはローマ数字で数式を造るのは無理だったゆえ)
さらにあっちの連中は通貨も長さや重さの単位も、12進数が基本でしたから、
簡単に暗算できない人間の方に問題がある、となったようです。

が、アラビア(インド)数字の導入が遅れまくった東アジアでは、
アバカスの末裔、ソロバンが19世紀まで完全に現役だったわけです。
12進数もほとんど使われた形跡がありませんしね。

まあ、とりあえず発明から約4000年(笑)、
これだけ長期にわたって使われ続けた道具も珍しい気がします。



その横には日本のアバカス、としてソロバンの模型と計算の仕方の説明が。

写真のオッチャン、いろいろやってみてるんですが、どうもよくわからんらしい。
で、振り返れば、なんだかウサンクサイ東洋人(我)が立ってるじゃありませんか!

えらく期待に満ちた目でどうぞ、と譲られてしまったので、
何が悲しくてロンドンまで来てソロバンを…と思ったものの、
とりあえず、足し算で位の上がり方だけを説明しました。
…英語で“繰上げ”をなんと言うのか判らなかったので、Kick up ten position 
と言ったら、妙にウケました…。




こちらはそこからちょっとだけ進んだモノ達。
展示の説明によれば、ここらはまだ計算機(calculator)となります。

右側のピアノみたいな箱は1908年製の機械式計算機。
中は歯車のカタマリで、四則計算は一通りできたようです。
ただ、これ当時としてもかなり大型で、どうもプリンターのような機能を
持っていたらしいですね。

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