■そろそろ演算は終わるのだ



もう一つのバベッジの野望、解析機関(Analytical engine)…の未完成パーツ(笑)。

ある意味、バベッジが本当にやろうとしてたのが、これで、
この機械に至っては、四則計算(足す、引く、割る、かける)の計算はもちろん、
プログラムを作成、保存してより高度な計算を行うことが可能でした。
これらを全て歯車や回転軸でやろうとしてたわけで、
世界初のデジタルコンピュータ、と言っていいと思います。
なにも電気がなくてもデジタルコンピュータは作れるわけで、これは蒸気で動かす予定でした。

ちなみに、このあまりに高度な機械の設計が1871年の彼の死の年までにほぼ完成していたこと、
さらにこれが蒸気駆動だったというイメージと現実の落差にショックを受けた人物に
SF作家“チバシティ”ギブソン&スターリングがいます。

彼らは、後にこのコンピュータが完成、発展したという世界観の作品を発表、
これがいわゆるスチームパンクの中で、大きな潮流を産み出す事になります。
(ただし連中はなぜか作品タイトルをディフェレンス エンジンの方から取ってる)

が、これもバベッジの生前には全く形にならず、
ここで展示されてるその一部が完成したのみに終わります。
ちなみに展示されてる完成品はホントに一部のパーツで
これを大量に組み上げて、円形にし、直系、数十メートルという(笑)、
現代のスーパーコンピュータなにするものぞ、というシロモノになる予定でした。
しかも、その動力として、蒸気機関がそこに加わるわけで、これ、置く場所が…



で、バベッジは当時、自動織機などで使われていたパンチカードを使って、
この機械への情報の読みこみ、書き出し(プログラム)をやるつもりだったそうな。
この時代から、すでにパンチカードでコンピュータを動かしタレ、ってんだから
まあ大したアイデアではあります。

写真は解析機関用のものか、当時の別の機械用のものかは説明がありませんでしたが、
とりあえず、こんなのを使う気だったのよ、という事で載せておきます。



こっちはバベッジの写真とか、残したノートとか。
でもって、写真の下に見えてるのは、彼の右脳のホルマリン漬け。
…展示するか、そんなの…



でもって、実はディフェレンス エンジン、差分期間はバベッジの死後、
その資料を見たスウェーデン人、George&Edward の Scheutz兄弟の会社で
(スウェーデンの人名は読めん…)
より簡易化したScheutzian 計算機関(calculation engine)として製造、販売されていたのでした。
1855年ごろに完成、その年のパリ万博に出展してるみたいです。

が、当時はすでに機械式計算機が登場しており、
多少複雑な計算が出来るとはいえ、こんな巨大な機械の需要は低く、
(よく見えてないが奥行きも結構ある)あまり売れないで終わったようです。



でもって、こっちは1930年代に英米の大学で
ちょっとしたブームとなった微分解析機(Differential Analyser)。
MITのニーマンとブッシュが開発し、他の大学では、その設計を元に独自に製作しました。

これは一種のアナログコンピュータで、現代のデジタルコンピュータとは異なり、
全てを数値データ化して処理するのではなく、単純に機械的な操作だけで、計算を行います。
ある意味、アホみたいに高度な機械式計算機で、バベッジの解析機関とは、
その動作原理も、内容も、全く別物。
基本的には微分方程式を解くための機械です。

展示の機械はマンチェスター大学で1935年に造られた解析機関で、
これでも全体の半分だけなのだとか。
これのレバーをみんなでグルグル回してるとこは、
遊んでるようにしか見えないような気も…

ちなみに、イギリスの航空機開発の元締め、王立航空庁(Royal Aircraft Establishment)
も一台導入した、との事ですから、それなりの計算能力はあったようです。
戦争中は各大学のこの機械を動員して、砲弾の弾道計算をやったほか、
イギリスの場合、例のダム破壊爆弾、水の上を跳ねてゆく
ダムバスターの弾道計算にも使われたとのこと。
あれ、単なる思い付きの一発兵器ではなく、厳密な計算に基づいて
設計されてたんですね(笑)…

当時の機械式計算機の50倍以上の効率で計算できた、という話もありますから、
なるほど科学の力だねえ…。

が、それでもアメリカでは各種兵器における弾道計算が追いつかなくなり、
世界初のデジタル電子コンピュータ、ENIACの誕生に繋がって行く事になります。



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