■科学の力で遊ぶのだ



こっちはミシン。
ソーイング マシン(裁縫機械)のマシンがなまってミシン。
千葉県を県と略すような大胆な日本語化だと思います。



でもって、ここにあったコンピューターゲームの展示がすごかった。
この小さい一角で、スミソニアンのその手の展示を超えてます。



とりあえず、左上に当時のテレビ付きで展示されてるのが1980年、
ガンダムが放送打ち切りになった直後(笑)に登場したコモドールのVIC.20。
日本だとVIC1010の名前で売られてました。
なんで名前が違うのかは知りません(笑)。

この後に登場するコモドール64の方が有名ですが、これもゲーム文化を
築きあげる基礎となった、歴史的なマシンです。

キーボードがあるんでコンピュータですが、基本的にゲームユーザーをターゲットにした
低価格コンピュータとして登場、最終的に全世界で200万台以上売りまくりました。
ちなみに、これ、アメリカ本国ではスタートレックのカーク船長をコマーシャルに起用、
まさにそういった層がコンピュータユーザだったわけで(笑)、大ヒットにつなげました。

そのすぐ下、右側の薄っぺらい青白のマシンが、これも1980年発売のシンクレアZX80。
イギリス製のコンピュータで、入門機としてイギリスではかなりの普及を見せたそうです。

で、その左、黒いキーボードに虹色のカラーリングがされてるのが
シンクレアのZXスペクトラム(Spectrum/光のスペクトルのこと)。
ZX80の後継機で、1982年に発売されてます。
これもイギリスではかなりの数が売れたそうで、上のコモドールVIC.20の後継機、
コモドール64のライバルとして、がんばったようです。

ここら辺の時代のコンピュータは、ゲームができる、というのが最大の売りでした。
だったら、最初からゲームだけのコンピュータと割り切って設計すれば、
もっと低価格でコンパクトなマシンが作れるのでは?と考えた連中がいました。
アメリカのアタリ社のみなさんです。
それが写真の右上にある、アタリの2600 ビデオ コンピュータシステムなわけです。



これ。このアタリ2600(VCS)が世界を変えました。
日本ではさっぱり普及しなかったのですが、アメリカでは爆発的な大ヒットとなり、
これのコンセプトを頂いちゃったのが、任天堂のファミコンとなるわけで。
ゲームをカセットで発売する、というのもここら辺からとなります。

1977年に発売されたものの、当初はさっぱり売れず、日本製ゲームだったインベーダ、
そしてパックマンのソフトが発売されるに至って、アメリカで大ブームとなります。
なので、ゲーム機の普及にはキラーソフトが必須、と世界で初めて証明したのも、
このマシンだった、という事になります。

が、1980年から1982年にかけて人気はピークとなるものの、
その後、あまりにつまらないソフトが乱造されまくります。
その結果、ユーザー離れを起してしまい、急激にブームは収束してしまうのでした。

この後、1983年にファミコンが発売になるわけですが(アメリカは1985年)、
その販売戦略、ソフトウェアの管理、という点では、
このアタリの失敗を相当に参考にしたんだろうなあ、という面がありました。




でもって、もうひとつのビックリがこれ。
1972年にアタリが発売したコンピュータゲーム、ポン(PONG)です。
世界で始めて商業的に成功したコンピュータゲームで、
これの成功が、現在に至るゲーム文化を生み出す事になりました。

これ以前にも、商業的なコンピュータゲームはあったんですが、
どれもイマイチぱっとせず、このゲームで初めて世界中がコンピュータゲームという
存在に気が付くことになるのでした。
事実、翌年には早くも日本でコピー製品が造られてます(笑)。

ルールは簡単で、ポンはピンポン、卓球のポンですから、
左右に見えるバーを上下に移動して、ボールの打ち合いをやるだけ。
たしか15点先取で勝ちのはず。

スミソニアン、なぜかパックマンは持ってるのに、このポンは持ってませんでした。
まさか、こんなとこで見れるとは。
オリジナルの画面は、私も初めてみました。

ただしこれ、得点の表示位置からして、アーケード版(お店でお金を入れて遊ぶ)ではなく、
後の1975年、アタリが出した家庭用版の方だと思います。
どっちにしろ、貴重な展示ではありますが。

はい、まだまだ家庭の科学は続くんですが、とりあえず、
今回の本編はここまで。

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