■さあ、どんどん深みにはまってゆくぜ



現存する最古の蒸気機関車パッフィング ビリー(Puffing Billy/汽車ポッポ ビリー)。
上部構造がわけわからん状態になってますね。
ちなみに同型の機関車がもう一台あり、
こちらはスコットランドのエンジバラの博物館が所有してるようです。

1813年から14年にかけて製造された、という事ですから、
例のトレヴィシックの蒸気機関車から10年後。
この辺りから蒸気機関車は実用化の段階に入って行きます。

ついでに、2008年までは、パッフィングビリーはその同型車に次いで
世界で2番目に古いと思われていたのですが、
再調査の結果、立場逆転、ビリーの方が古いとなって、
科学博物館大喜び、となったようです。

ちなみに世界初の蒸気機関車を製作したのは
トレヴィシックで間違いないのですが、これは実用化されませんでした。
でもって、最初に実用化された蒸気機関車を造ったのは誰か、
という事になるといろいろ微妙で、判然としない部分があります。

当時は炭鉱から石炭を搬出する港(運河の場合もある)まで
レールが引かれ、ここに馬に引かせた貨車を走らせ、大量輸送を実現してました。
このイギリス各地の炭坑用馬車鉄道が後の鉄道の基礎となります。

この機関車も、そんな炭坑用鉄道のために開発されたものです。
イングランド北部のウィラム(Wylam)の炭鉱に積出港まで、
約5マイル(約8km)の馬車鉄道があったのですが
ナポレオン戦争、さらにはアメリカがそれにつけ込んで起した1812年戦争により
馬がどんどん軍に徴用されてしまい、運搬手段に困った炭鉱側が導入したものだとか。

最高時速は8km/h前後、人が歩くより速いけど、走るよりは遅い、
というレベルで、1930年代、高性能な蒸気機関車が登場するようになると、
それに取って代わられたようです。



でもって、こっちは超有名蒸気機関車、スチーブンスン父子のロケット号。
確か1998年ごろ、一度日本に来てますね。

世界初の旅客用鉄道で使用された蒸気機関車で、
それまで炭坑用でしかなかった蒸気機関車が大衆の移動手段に進化した最初のものです。
これの成功が、現代の鉄道へと繋がっています。

しかし、蒸気機関の進化には常に炭鉱が関わってますね…。

ちなみに、彼らは以前にも、炭坑の積み出し用蒸気機関車を造った経験がありました。
この時、スチーブンスンの父が採用したレール幅1435mmが現在でも世界標準となってます。
(JRは狭軌と呼ばれるもう少し狭いレール幅で、新幹線だけが世界標準幅のレールとなる)

1829年、マンチェスターとリヴァプールの間に、旅客用鉄道の建設が計画され、
それに使用する機関車を決めるための賞金付きの選考会が開かれます。
これがレインヒル選考会(Rainhill trial)で、10台の蒸気機関車が出場したとされますが、
3日の会期中、13トンの貨車を引いて平均時速12マイル(19.2km/h)
で走ったこのロケット号が優勝となり、マンチェスター・リバプール間の
鉄道に採用される事になるわけです。



だいぶ近代的になって来た1845年製のコロンバイン(Columbine)号。
ここまで来ると、ああ、蒸気機関車だという感じが。
それでも、まだ日本は江戸時代ですから、まあ、たいしたもんです。

ちなみにこの展示、スペースの都合で石炭車が外されてます…。



こちらは蒸気機関トラクター(Traction engine)。

さらに大型のがスミソニンにもありましたが、
アヴェリン&ポーター(Aveling and Porter)社によるこれは
1871年製、恐らく現存する世界最古の蒸気機関トラクターだという事です。

フォードの大量生産の話のとこでも書きましたが、トラクターを直訳すると牽引車で、
その名の通り、これは後ろに貨車を連結して道路を走ってました。

基本的には農業向けの機械で、収穫期に大量の取り入れ物を積んだ
貨車を引いて走り回ってたようです。

日本じゃ明治2年、版籍奉還とかの時代にイギリスじゃ、こういう農業やってたわけで。


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