■戦争と飛行機



というわけで、今回はコスフォードRAF博物館の、戦争の飛行機展示棟に突入です。

ここはさまざまな戦争に参加した機体を集めた…という事になってるようですが、
だんだん、そこら辺りどうでもよくなってきたようで(笑)、
現在は第二次大戦を中心にした展示、と考えておけばいいみたいな印象。

手前の機体なんて永世中立国のスイスの国籍マークつけちゃってますし…。



最初は、第二次大戦期に関するパネル展示など。

一応、バトル オブ ブリテンから、ドイツ本土での捕虜収容所や
強制収容所の開放に至るまで解説されてます。



スピットファイア、というかその設計者のミッチェルに関する展示。

ミッチェルに関しては以前にイヤンてな位に書いたのでそっちを見てもらうとして、
彼は水上機による国際航空レース、シュナイダーカップ参加機の設計で名を売り、
そこからイギリス空軍に戦闘機の製作を売り込んで行きます。

なので、この展示もメインとなるのはシュナイダーカップに関するもの。
宮崎監督の紅の豚の展示とかないかな、と思ったんですが、
さすがにイギリスじゃ、それは無かったです。

ちなみに、中央、やや左にある赤い飛行機(マッキ?)の表紙が
シュナイダーカップ 1929年大会のプログラム。

1929年大会は9月6日、7日に行われ、ミッチェルの手による
スーパーマリンS6が優勝、イギリスの3連勝に王手をかけます。

5年間に3回優勝した国が最終的にカップをもらえるルールだったんですが、
一度イタリアが3度勝ったものの、イギリス人審判のチンピラのインネンのような物言いで、
最初の優勝をノーコンテストにされてしまっていました(笑)。

ちなみに、ここら辺、イギリス人の書いたものを読むと、
“スポーツマンシップに乗っ取り、イタリアが自ら優勝を辞退した”
とか書かれてますが、イギリス人の言うスポーツマンシップを鵜呑みにしちゃダメよ(笑)。

でもって、この1929年大会終了後、1月半後には世界恐慌がスタートしてしまうため、
次の1931年シュナイダーカップには参加できない国が続出となります。
その中で、イギリスのS.6Bだけが強行出場し、なにせ1機しか出てないんだから(笑)、
そのまま優勝してしまい、シュナイダートロフィを永久保有する事に…。

画面左上に見えてるのがそのS.6(B)の模型ですが、
これは翌日に現物を見ることになります。

まあ、出来レースと言うか、それ以前の問題、というレースになってしまったのですが、
この機体そのものは、完成度の高いもので、優勝にふさわしい機体ではありました。



その前にあったスピットファイアのMk.I(マーク ワン)。
この展示機、K9942は現存するスピットでは最も古いもので、
1939年4月21日、第二次世界大戦開戦前に完成していた機体です。
ダンケルクの撤退戦に参加後、胴体着陸をやるハメになってしまい損傷、
そのまま退役扱いとなって、保管されていたようで、
バトル オブ ブリテンには不参加となってます。

なので、良く見るとコクピットを覆うキャノピーが全くふくらみの無いタイプだったり、
(ただし透明パーツ、有機ガラスはオリジナルではなく、当然、近年の複製)
排気管の先端の形状がちょっと変わったものだったりします。

主翼と胴体下面が真っ黒ですが、向こう側、右半分は真っ白で、
この目立つ塗装は、地上の友軍から間違って
対空砲火を撃ち込まれないようにするための識別塗装。
これはかなり初期のものを再現してるようです。

友軍から間違って撃たれないようにするには、各国とも
イロイロやってるんですが、地上から上を見たら逆光で機体下なんて見えん、
高度が高いとなお見えん、さらに地上の対空砲火要員は
せっかくもらった対空砲を撃ちたくて撃ちたくてしかたないので、
識別塗装なんて見る気が無い、といった問題を抱えていました。

なので友軍の対空砲火で迎撃されてしまう、
という悲劇は、どうしても避けられないものとなってゆきます。



で、ここが実はスピットファイアのお誕生会会場、その一。

受け付けで整理券をもらっていれば、ここで記念撮影をしてもらえる、という趣向でした。
ああ、やっぱり適当な英語を駆使してでも、整理券、もらっとけばよかった…。

ちなみに、後でテレビの取材が来て、
この写真の奥に見えてるおじいさん二人にインタビューしてました。
現役パイロットでご存命の方でしょうか。
終戦間際に18歳で乗ったとしても、80歳を軽く超えてるはずですが…。


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