■いろいろやってみたザマス
これはイギリス機。
デ・ハビランドのDH.89 ドラゴンラピード。
1934年に初飛行した短距離用の旅客機で、205機生産されて終わり…
と思ったら、第二次世界大戦の勃発により輸送機、
及び例の爆撃機の大陸向け無線誘導員の訓練機として採用されることに。
ちなみに軍用のタイプはドミニー(Dominie)という名前に変更されました。
で、この軍用タイプだけで、最終的に500機を越える採用と成ってしまい、
これが終戦後大量に民間に払い下げられた事もあり、
かなりの数が戦後、民間機として活躍し、一部は今でも遊覧飛行をやってます。
私も、5年前にダックスフォードで飛んでるのを見ました。
レストア(修復)ではなく、レプリカとして新造されたポテ(POTEZ)25。
結構いい場所にドン、と置かれていたので、もしかしたら、製作途中ではなく、
これも、内部構造を見せるため、羽布を剥ぎ取った状態で展示してあるのかも。
どうも個人の方が一人で製作した、という機体らしいです。
ポテ25は多用途軍用機として開発され、1924年に初飛行した機体。
ポテ社としてはヒット作になった機体の一つで、
全部で4000機(うちフランス国外が1500)生産されたとの事ですから、
戦間期に製造された機体としてはかなりのものでしょう。
戦闘機、軽爆撃機、偵察機としてアメリカ、ソ連、スペインなどで使われました。
日本にも売ったぜ、とされてますが、ここら辺はよう知らん。
そういやこれもサン・テグジュペリが乗ってた機体の一つですね。
手元に本がないので確認できませんが、彼の小説
「夜間飛行」の中で出てくる機体は確かこれです。
(アンデスを超えれる航空機は当時、決して多くなかった)
ついでに「人間の土地」に書かれたエピソード、テグジュペリの同僚のギヨメが
6月の真冬のアンデス山中に不時着、現場から数日かけ、
ひたすら歩いて生還した話(実話)で、
ギヨメが乗っていたのもこの機体でした。
…と、ここまで書いて気が付いた。
この機体、良く見ると、尾翼にさりげなくAéropostaleの文字が。
航空郵便、つまりこれサン・テグジュペリやギヨメが在籍した航空会社の…って、
さらに良く見たら、機体のナンバーは1522。
これ、ギヨメが乗ってた機体のレプリカじゃないですか!
という事は…
その機体の横に展示されてた、この写真。
飛行機でワカサギ釣りに来てエライ目にあった記念写真だろうか、くらいに思ってたんですが、
機体の横に書かれた文字、良く見ればF-AJDZだ!
これ、ギヨメの乗ってたポテ25です。
周囲の状況からして、ギヨメが1930年6月13日の金曜日(涙)、
アンデス山中に不時着した時の機体写真でしょう。
なんてこったい、現地では全く気が付きませんでした。
そもそも、墜落現場に捜索隊が入ってたというのも初めて知ったし、
こんな写真が残ってたなんてのも初めて知りました。
となると奥に見えてるのは、彼が飛行の目印としたディアマンテ湖か。
凍ってませんが、ここは確か不凍湖なので(一種の温泉らしい)季節は読み取れませんね。
さすがにここからの機体回収は無理だと思うので、この捜索隊の目的も気になるところですが…。
で、ギヨメはアンデス超えの飛行の途中、
ここの上空で荒天により身動きが取れなくなり、やむなく湖のほとりに不時着します。
写真の左から来て、後ろが跳ねるか、プロペラが引っかかるかで逆立ち、転覆したのでしょう。
機体は白で塗装されていて、これが彼の同僚達が上空から探索した際、その発見を困難にした、
とされていますが、なるほど写真で見ても白っぽいですね。
ここで天候の回復を待ってから、彼は零下40度と言われている
真冬のアンデス山中を徒歩で突破し、軌跡としかいいようがない生還を果たす事になります。
いやはや、この航空宇宙博物館、サプライズの連続です…。
コードン C-635 シムーン(CAUDRON
SIMOUN)。
1934年に初飛行した4人乗りの民間機です。
各種長距離飛行に挑戦した事で知られ、
1936年にはパリ〜東京間の懸賞金がかかった飛行にも使われてます。
でもって、これもサン・テグジュペリが乗っていた飛行機の一つで、
1935年12月、彼がパリーサイゴン間(当時のベトナムはフランス領)
の懸賞金飛行に挑戦、その途中でリビア砂漠に不時着するはめになった機体。
ちなみに、サン・テグジュペリは以前にも砂漠に不時着した経験がありました(笑)。
8年前の1927年にサハラ砂漠に不時着し、この時はギヨメに助けられてます。
星の王子さまの元ネタになった体験はどっちだかわかりませんが、
彼がサハラ砂漠(リビア砂漠もある意味サハラ)における
不時着体験が豊富だったのは確かです。
ちなみに2回とも彼一人ではなく、同乗者と一緒の遭難でした。
ヤッホー!久しぶりに来たフランス式ビックリドッキリメカ(笑)。
1934年ごろに初飛行、1936年ごろから販売されたらしい一人乗り小型機、
プディシェル(Pou-du-ciel)HM-14。
冗談でつくられた実験機のようですが、これは本当に飛びます。
つーか、現存機があって、今でも飛んでます(笑)。
なんとも独特な前後に大きくずれた複葉で、上下二段、というよりは
前後二段、トンボの羽みたいな複葉構造となってます。
ついでに水平尾翼もありません。
ここら辺、なんだか独自の理論に基づくらしいのですが、よくわかりません…。
まあ、実際に飛んじゃってるんだから、間違ってはいないのでしょう…。
ちなみに暗くて見づらいですが、主翼にエルロンがありません。
ライト兄弟の機体のように、主翼を捻って揚力を変えていたのか、
機体を傾けるのに、何か他の方法があったのか…。
あの垂直尾翼の舵だけで曲がってる、ってのは無いと思うんですが。
でもって、水平尾翼がないだけでなく、
実は後部の翼に昇降舵(エレベータ)もない、という機体構造でして、
正直、どうやってコントロールしてるのかさっぱりわかりません…。
で、もってHM-14はただの一発ネタではなかったようで、
その後継機と思しき機体が横にありました。
一切の説明がないので詳細は不明ですが、
この主翼配置、水平尾翼がない、エルロンがない、といった構造は
おそらく上のHM-14と同じ理論に基づく設計ではないかと。
良く見ると、後ろの主翼は曲がってて、布製?という気もするんですが、よくわからず。
世の中、まだまだ知らない事ばかりザンス…。
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