■回って回て次に行こう



その奥にあった、えー、なんじゃこりゃ。
…いや、ホントになんじゃこりゃ。
良く見ると四隅にプロペラのようなものが付いてますが…。

なんじゃこりゃ(笑)。



で、この棟の入り口付近にあった謎の物体がこれ。

一見するとなんだかよくわかりませんが、複葉のローター(笑)が二段重ねとなってます。
まあ、上段下段を逆回転させることでトルクを打ち消そう、という狙いなんでしょうが、
それ以前の問題としていろいろと…。
各ブレードは固定で動かせそうにないですし、飛ばないでしょう、これは…。

例によって解説板等は全く無いので、詳細は不明、という事で。



さて、回転翼パラダイスの次の展示棟はこれ。

おおよそ第二次大戦前あたりまでの民間機などのコーナー。
いわゆる“黄金時代(ゴールデンエイジ)”の機体、と考えていいみたいです。

それ以外にも、天井からいくつかのグライダーなどがぶら下げてあったのですが、
その手のは全部無視します(手抜)。でなきゃ終わらん。



1930年代後半の傑作初等練習機、アメリカのボーイング ステアマン(Stearman)PT-17。
フランスでも使ってたのか?と思ったら、塗装はアメリカ陸軍のまんまなので、
とりあえずこの時代を代表する機体、ということで置いてあるのかも。




ブレリオ スパ(ッド) 54。
1922年ごろの複座民間機なんですが、これ、横並びに複座なので、
正面から見るとかなりのおデブさんだったりします。

でもって、ブレリオ スパッド社とはなんぞやというと、
例の読みにくい名前のアイツことドゥペルデュサン(Deperdussin)さんが設立した
SPAD社、第一次世界大戦時には傑作機のSPAD VII(7)&XIII(13)を
送り出した会社が大戦終了後、改名したもの。

ちょっとややこしいのですが、SPAD社は第一次世界大戦の前、
1913年(買収成立は14年かも)の段階で、
ドーヴァー海峡横断でおなじみのブレリオによって、買収されてました。
どうも社長のドゥペルデュサンが犯罪に近いことをやってしまい、
評判を落として経営不振になったとの事なんですが、詳しくは不明。

なので、厳密にはドゥペルデュサン航空機製造会社、
Société Provisoire des Aéroplanes Deperdussin、
その略称でSPADだったのは1913年の約1年だけです。

その後、ブレリオの買収により、社名は
Société Pour L'Aviation et ses Dérivés(航空機と各種装置製造会社?)
に変更されてしまいます。
が、これも略すとSPADとなるように命名されており、
第一次大戦中はSPADのままで通しました。

それが戦後、この社名に変更されたもので、この会社は1936年、
例の全航空機産業の国有化まで存続しています。


NEXT