■おフランスは試すザンス
さて、ここからは本館に戻ります。
で、この左翼棟は旧ターミナルビルではなく、ハンガーの建物を利用してるため、
余計な柱などが少なく、見やすい展示となってます。
別棟展示を先に見てしまったので、エントランスから順番に回ってきたら、
本来は最後になるはずのフランスの実験・試作機のコーナーから回ることになります。
で、ここがまあ、すごかった(笑)。
ある程度の予備知識は持っていたし、ウチからリンクさせてもらってる
某氏さんのD.B.E.三ニ型のサイトでも日記・旅行記のコーナーにレポートされていたので、
覚悟は完了してから乗り込んだのですが、いや、甘かった。
その疾走感を通り越して失踪感あふれる機体の数々に、
ホントに泣きたくなってきました(笑)。
これまでの私の飛行機に対する考え方は全部間違いだったのかもしれません。
そういやパリって、ウルトラマンに変身するハヤタ隊員の勤務先、
科学特捜隊の本部があった街でしたねえ…。
というわけで、最初にエリア全体を上の空中廊下から見下ろして見る。
もうこの段階で、右側の手前から2番目のとか、
画面中央一番奥で天井に頭ぶつけてるマネキンさんとか
画面中央のメタボリック症候群にかかったF16みたいな機体とか、
カンのいい人は、あれ?という感じの飛行機がいくつも見えております(笑)。
でもね、まだまだ隠れていて見えない、いろんなモノがあるのですよ、ハニー。
実験機、試作機、というのは新しい、または今までは見逃されていた理論に基づいて
設計が行われた機体ですから、まあ、後の時代から見るとなんじゃこりゃ、
というのが多いのは事実です。
でもね、限度はあると思うんですよ(笑)
アメリカ空軍博物館にも実験機・試験機の別棟がありましたが、
ここもなかなか強烈で、一緒に見て回ったささきさんと、アメリカ人は何を考えてたんでしょ、
みたいな話をしていた記憶があります。
だが、フランスはそんなもんじゃなかった焼き(笑)。
ラテン系の民族には、思考のブレーキは存在しないのかもしれません。
まずは軽く。
最初に展示されてるS.O.6.000。
愛称はトリトン(TRITON/英語読みでトライトン)だそうな。
1946年に初飛行したフランス最初の国産ジェット機ですが、
エンジンは最後まで国産化できませんでした。
ここでちょっとだけ、フランスの試作機の変なネーミングについて説明しておきましょう。
この国の試作機は1950年代あたりまでは、小数点がついてます(笑)。
この機体も6000と書かれる事が多いですが、正しくは6“.”0000で、6なのです。
なんでかは知りません。
ちなみのこの後で1以下のナンバリングの機体が出てきます(笑)。
もっとも21世紀現在はフランス人の記述でも6000、
六千と書いてるのが多いので、それでも問題ないとは思いますが、
この博物館の解説板ではちゃんと6.000になってますね。
この機体、戦争中から開発がスタートしてたらしいのですが、
S.O.6.000は初期型の1、2号機、後期型の3、4、5号機に別れ、
それぞれ搭載エンジンが異なります。
展示機は後期型で、エンジンはロールス・ロイスのニーン(Nene)を搭載。
後にソ連がコピーしまくって(笑)、その発展型が
MIg15などに積まれて行く事になるジェットエンジンです。
ニーンは遠心圧縮エンジンですので、
ドラ焼きみたいな円盤状で、この機体の胴体は、
それを搭載するためにこういった形状になったのでしょう。
が、問題は初期型の1号機。
これは、あのドイツのユモ004を搭載していた、という話なんですね。
おなじみのMe262戦闘機などに積まれた軸流圧縮のジェットエンジンです。
これを戦勝国(笑)として押収し、この機体に積んだ、との話。
が、軸流エンジンですから、当然、遠心圧縮エンジンと違って細長い。
上の写真で手前に写ってるのがまさにユモ004ですから、
入るか、この機体に(笑)。
何か、根本的なとこで情報が欠落してるような気がするんですが、
その辺りの説明は一切無いのでした…。
ちなみにこれ、なんとなく科学特捜隊のジェットビートルに顔が似てるような…。
もう一つ、比較的、普通なのを(笑)。
ダッソー ミラージュIII(3) V。 III
Vで、3のブイ、ですね。
こうして見ると、普通の戦闘機っぽいですが…。
上から見るとなんか機体上面にフタのようなものが。
手前の機体右側に4つ、反対側にも4つあるフタはエンジンの空気取り入れ口で、
ここには下向きに据え付けられた計8基のジェットエンジンが入ってます。
このエンジンで機体を持ち上げて離陸するわけで、
つまりハリアーやF35-BのようなVTOL、垂直離着陸を行うための実験機です。
良く見ると前輪がえらく後ろにありますが、あれは機首下に
バランス取り用のジェット噴出口があるから。
(さほど推力はいらないので、もしかしたら燃焼前の圧縮空気かもしれない。詳細不明)
どうも従来からあるミラージュIIIに、この垂直離着陸用エンジンをつけることで、
比較的低コストでVTOL機の開発を狙ったようです。
1965年に完成、初飛行、1966年には最も困難な垂直離陸から水平飛行への移行にも
成功したとの事ですが、最終的に計画はキャンセルされてます。
しかし、垂直離着陸用だけのエンジンを8基もよく積みましたね…。
推進用の従来のエンジンと合わせて計7発、というエンジン数は、
どこの戦略爆撃機ですか、という世界のような。
ペイヤン(Payen)
Pa49。愛称はキャティー(Katy)だとか。
ちなみにこれ、脚は出たままの固定脚ジェット機なんですが、
発表されてる写真の一部では脚を畳んでるようで、
どうも後から改造して固定脚にしてしまってるようです。
理由は不明。
1954年に初飛行した、デルタ翼実験機とのこと。
フランス航空機業界におけるデルタ翼信仰の源流でしょうか。
つーか、このペイント、まさに科学特捜隊…。
ちなみにこの機体はどうもニコラ ホーロン ペイヤン(Nicolas
Roland
Payen)率いる
ペイヤン航空が自社開発したもので、
試験終了後の1958年、この博物館に寄付した、との事で
どうもフランスの国家プロジェクトによるデルタ翼実験機というわけではないようです。
ペイヤンさんは前翼のあるデルタ翼機なども試作しており、
この人がミラージュシリーズに続くフランス式デザインの始祖なのか、
と思ったんですが、ほとんど情報がなく、詳細不明。
ついでにペイヤン航空というと、映画用撮影用のレプリカ機体の作成で
そんな会社があったと記憶するのですが、これが彼の会社なのか確認できず。
NEXT