■実験ばかりもしてられないザンス
その横にあったメッサーシュミットの三輪車。
KR-200でいいのかな。
何の説明もなく置いてあったのですが、館長の通勤車とかでしょうか。
さて、そんな感じで実験機、試作機のコーナーはオシマイ。
その隣にある戦後、ベトナム戦争前あたりまでのジェット機展示に行きましょう。
これも結構いい機体を持ってます、この博物館。
で、この写真を見て気が付いたんですが、この床、
フランスの国籍を示すラウンデルマークになってますね。
下で見学してる間、全く気が付きませんでした…。
オシャレと言えばオシャレ。
その片隅にあった展示。
なんじゃこりゃ、と思ったら、ダッソー ミラージュF1の実物大透明模型。
例のマッハ2戦闘機、ミラージュIIIの後継機ですね。
フランスの戦闘機は、ミラージュIII、ミラージュF-1、ミラージュ2000、ラファールと、
どういうルールに乗っ取って命名してるのかよく判らんとこがあります…。
でもって、なんかこれ、見たことがあるような、と思ったんですが、
ダッソー社がF1の製造を発表した記者会見のときに展示されてたやつでは?
最初に見たとき、これも水平尾翼の無いデルタ翼か、それにしては主翼小さいな、
と思ったら、尾翼が失われてる状態で(笑)、F1はミラージュシリーズにしては珍しく、
後退翼で水平尾翼あり、という機体でした。
中が見えます、という事ですが、
どのくらい本当の機体と共通のパーツを使ってるのかはよくわからず。
で、まあジェット機コーナーなんですが、こんな機体も。
例のどこでもおなじみノースアメリカンのT6-Gテキサン。
今回は結構ちゃんと写真撮りました(笑)。
説明不用とも言えるノースアメリカンの傑作練習機で、
1万5千機も造られ、世界中で使われた機体です。
G型は最終生産型で、アメリカでも
戦後まで練習機として使われていた機体だったはず。
が、フランスの場合、前にも書いたように、戦後は
ほとんど手ぶらで各地の独立戦争を押さえ込む状況に追い込まれたので、
操縦性のいいこの機体も軽攻撃機として使ってました。
ご覧の機体がまさにそれで、主翼下面にロケット弾ポッドをぶら下げてます。
1954年からのアルジェリア独立戦争などに投入されたようです。
余談ながら、アルジェリアの独立戦争は、
通常の植民地独立戦争とはちょっと異なるものでした。
本国であるフランスが、これによって大混乱に陥るのです。
フランス国内では独立容認派と反対派の対立から、戦後に成立した第四共和制が崩壊、
それにつけ込んだ、ド・ゴールによる第五共和制の成立(一種のクーデーターに近い)
と彼の大統領就任といった事態が次々に発生します。
さらにアルジェリアに派遣されていた、
フランス最強の空挺部隊によるクーデーター、
それをけん制する政府指導による核実験などが次々に起こり、
まさにフランスとってはフランス革命以来の激動の時代となりました。
日本から見ると、フランスの植民地運営失敗はベトナムでの敗北、
その後を継いだアメリカによる泥沼化、という印象が強いのですが、
実際、フランスの植民地独立運動の本当のピークは、
その後、1954年から62年までの、このアルジェリアでした。
ちなみにフランス政府はこの独立戦争終結後、この戦争に関して
報道、出版の規制というどこの共産国家だ、という手段を取っており、
現在でも、フランス最大の汚点の一つとして尾を引いています。
フランス革命の時もそうでしたが、
どうも根が暗いというか陰湿と言うか、
ラテン系のくせに、そういう一面をフランス人は持ちます。
(ある意味ロシア人に驚くほど似てる)
不思議とイギリス人は、狡猾さはあっても、この手の陰湿さは感じませんね。
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