■みんなフランスのものザマス



その先にはリパブリックのP47D-30-RE サンダーボルトがありにけり。
正面から見ると、縦に長い機体なのだ、というのがわかってもらえるかと。

Yak-3のとこで書いたように、ソ連に渡って戦い続けたフランス人パイロットが居たのなら、
当然、イギリスに渡って戦った連中(ド・ゴール含有)の中にもパイロットは居るわけで、
彼らが結成したのがフランス空軍(Armée de l’Air/直訳すると空の軍隊)でした。
特に愛称とかもなく、単純明快にフランス空軍を名乗ってたらしいです。
戦後のフランス空軍(ALA)はその名前をそのまま使ってるみたいですね。

余談ながら、この博物館の解説板のほとんどで、
第二次大戦中におけるアメリカ陸軍航空軍のことを
あっさりUS AIR FORCE、アメリカ空軍と書いてました。
気にしないんですかね、そういう細かいところ…。
フランス語なんて読まないから、アメリカ人観光客からの抗議もないのかしらん。

写真の機体は、1944年にその連中が受け取り、第二次大戦終了まで使用、
戦後もお疲れ様、とはならず1950年まで現役にあった機体だとのこと。
ちなみにシリアルは44-20371。

戦後のフランスのP-47というと、各地の植民地独立戦争に対し、
フランスが差し向けた対地攻撃機のひとつなんですが、
この機体がその手の戦争に行ったのかどうかは不明。

余談ながら、戦勝国となったものの何も持ってない状況で各地の植民地独立戦争に
立ち向かうハメになったフランスは、それこそ現地で拾い集めた機体まで投入することになり、
日本の一式戦 隼をインドシナ戦争で運用した実績があります。



ノースアメリカン P51Dムスタング。

フランスってムスタングの供与を受けてたっけ?と思ったら、どうも偵察型を戦中から運用、
そのまま戦後も1950年くらいまで使っていたようです。

ただし、写真の機体は終戦間際にヨーロッパに送られてきて、
直後に終戦、持って帰るのも金がかかるし、ということでスウェーデン空軍に渡された
(返還の義務がある貸与であったと思うが確証はない)
1944年製造分のD型20-NA、シリアル44-63871とのこと。

さらにこの機体、どうもスウェーデンで1952年にもういらない、
となったあと、イスラエルに渡っていた、という話もあるんですが、詳細は不明。
とりあえず、1968年にこの博物館が購入して、ここにあるようです。
まあ、そんな来歴があるので、オリジナルティという点では微妙かも。



スピットファイア LF Mk.XVI (16)。

スピットファイアは戦争中の改良で、
2段2速過給機(スーパーチャージャー)を取り付けた
マーリンエンジンの61番以降を搭載、ほとんど別人てなくらいの
高高度性能を獲得し、戦闘機としての大幅な能力アップが行われました。

これがMk.IX (9) で、例のRAF博物館で串刺しにされてたり、
壁に貼り付けられていたりしたタイプですね(笑)。
が、戦争後半には、同じマーリン61シリーズでも、
アメリカのパッカードでライセンス生産したエンジンを搭載した機体が登場します。

両者は基本的に同じエンジンなんですが、アメリカのパッカード社が自社生産にあたり、
一部のパーツなどを再設計、交換してしまったため、
細部で異なる仕様となってしまいました。

このため、現場で整備する場合イギリス製マーリンエンジン
(ややこしいかもしれないが、イギリス本土ではフォード社の工場が
かなりの数を生産していたのでイギリス製=ロールス・ロイス純正ではない)
そしてアメリカ製マーリンでは、同じパーツが使えないところが出てきます。

なので現場で間違えてアメリカ マーリンにイギリス マーリンの
パーツを搭載してエンジンが壊れる、といった事故を防ぐ目的もあり、
このアメリカ マーリンを搭載した機体には新しい型番であるXVI(16)が与えられました。
9から16に番号がとんでるのは、なにせやたら新型を作ってたスピット、
その間に試作機、偵察機、そしてグリフォンエンジン搭載の機体まで
6機種も作ってしまったからです(笑)。

なので、Mk.IX(9)とMk.XVI(16)は基本的に同じ機体と考えて構いません。
実際、9として工場から出てきたのに後に修理した時にエンジンが変わってしまい、
部隊に戻された時には16となっていた、という機体もありました。
(このため、9と16正確な生産数の統計は非常に怪しいものとなってる)

そんな感じで、究極のスピットファイア、といっていいのがこの9と16で、
イギリスに逃げて対ドイツ戦争を続けていた“フランス空軍”もこの機体を使いました。
ただし、展示の機体は本来はイギリス空軍が使っていた機体を
当時のフランス人部隊の塗装に塗りなおしたものです。

さて、世界で一番機体の来歴が調べやすいスピット、この機体もバッチリでして、
1944年製のシリアルRR263、搭載エンジン形式はLFだから、低空用、
過給機のタービンブレードを短くして高高度性能を落す代わりに、
スーパーチャージャーによるエンジン出力低下を抑えたタイプ。

イギリス空軍の第ニ戦術航空軍に配属されて終戦を迎え、
1949年からはスーパーマリンの親会社、ヴィッカースアームストロングに実験用の
機体として1年間貸し出される、というちょっと変わった経歴を持ちます。
その後、1967年にフランス空軍に対して、イギリスから贈られ、
1978年からこの博物館にあるようです。

ついでに義足のエースとして知られるイギリスのパイロット、
ダグラス・バーダー(Douglas Bader)を主人公にした映画、
reach for the skyの地上シーンの撮影に使われた、との事。




でもって、この博物館ならではの機体がこれ。
フランス製の戦闘機、ドボワチン(Dewoitine)のD.520。
1938年初飛行ですから、Me109やスピットよりは新しいんですが、
全体的に野暮ったいなあ、というのが第一印象です。
ついでに、なんで座席がこんなに後ろなんだ?

本来なら第二次大戦期の主力機になったはずの機体なんですが、
ドイツがワーっと攻め込んで来た時点で、230機前後しか完成してなかった、と言われ、
実際に現場で戦えた機体はさらに少ない、という状況でした。
参考までに、フランスにおいて、対ドイツ戦でもっとも活躍したのは、
アメリカから輸入していたカーチスのP40でしょうね。

まあ、要するによくわからんウチに戦争は終わってしまった、という感じでしょうか。
対ドイツ(&イタリア)戦の時のフランス空軍の戦果については
資料によってかなりのバラツキがあり、
もしかすると、正式な記録などは敗戦時に破棄してしまって残ってないのか、
という気もするんですが、だいたいの数字で行くと、
空戦によるD.520の損失が全部で80機以上、
その間に撃墜したのが110機前後といった感じです。

自己申告による撃墜数は現実には半分位になる、
ってのが世界の撃墜数の相場ですので(笑)、
爆撃機などのカモといっていい機体を含めても、
おそらく損失が撃墜を上回るんじゃないでしょうか。
まあ、あんまりいい印象は受けない数字ですね。

…イタリアが航空戦に変な自信をつけたのは、相手がフランスだったからか?

この機体、ドイツ占領後も生産が続いたものの、
結局、全部で1000機に満たない数しか造られませんでした。
それでもドイツ占領下のフランスはもちろん、国外脱出組のフランス空軍、
さらにはドイツなどもでも使われたようです。

戦後まで生き残った機体もあったようで、フランス空軍で運用されたとか。
展示の機体はそんな中の1機みたいですね。


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