■勝ったら何とでも言えるザンス
この博物館は、もう一機ソ連の戦闘機を持ってました。
それがこのポリカルポフ(Polikarpov) I-153 チャイカですね。
これはさりげなく、世界で唯一の現存機でもあります。
ソ連の場合、戦勝国であり、かつ大量生産もやっていたんですが、
驚くほど航空機の保存には無関心で、みんな燃やしちゃった(木製機ばかり)
らしく、ホントに現存機が少ないのです。
生産された機体を全部つなげたら、東京、大阪間を越えしまう長さになる
あのシュトルモビクでさえ、まともな機体は残ってなかったりします。
この点、まだ戦争中の1944年からバトル オブ ブリテンあたりの記念機の
保存を始めてたイギリスなどとは、好対照です。
このI-153は、どうも戦時中にドイツが戦利品として鹵獲機を持ち帰り、
パリで展示していたのが終戦までここに置きっぱなしになっており、
それをこの博物館がもらってしまったようです。
1930年代前半のソ連の主力戦闘機、I-15の発展型なのがこの機体。
見ての通りの複葉機なんですが、初飛行は1938年、スピットファイアやMe-109は
既に配備がスタートしていた時代です。うーむ(笑)。
エンジンを強化し、さらに良く見ると上の翼が胴体に向かって折れ曲がっていて、
前方、上方の視界確保に貢献してたり、主脚も引き込み式になってたりで、
なるほど、発展型だという感じですが、さすがにこの時期にこのデザインでは
無理があったように思います。
1939年、カールキン ゴルの戦い(Battles
of Khalkhin
Gol)、
日本で言うところのノモハンの戦いでこの機体は本格的に実戦投入され、
日本側の主力機、中島の97式戦闘機と互角に渡り合い、基本性能に問題はないとされました。
このため1940年の独ソ開戦まで、その主力機の座に居続けます。
ただし開戦直後、ドイツ側の奇襲によって、多くが地上に駐機中に破壊されてしまい、
ドイツ軍との本格的な大空戦をほとんど経験しないで済みました。
これは、ある意味で幸運だったような機もします。
でもって、こっちが全く近づけなかったFw-190A。
A型の現存機はRAF博物館にある複座改造型しか見た事がなかったので、
これもぜひ見ておきたかったんですが…。トホホ。
ちなみに手前にあるのはV-1飛行爆弾で、これも近づけませんでした…。
さて、せっかくなので、ここではC-47の内部見学をやっておきましょう。
ちなみにここ、係のおばさんが居たので、あのFw-190、写真撮りたいから
近づいちゃダメ?と聞いたら、フランス語で一言、ノン、との事でした。
世の中、厳しいね…。
機内では、ノルンマンディ作戦の時と思しきムービーが上映されてました。
で、てっきりコクピットまで見れるのだろう、と思ってたんですが、
入れるのは後部のキャビンのみ。
で、そこに搭載されてた機械とか。
無線機でしょうか。なんかビミョーに新しい機械のような気もします。
さて、そこから奥に行くと、これ。
マーティン B-26G-25 マーローダー。アメリカ製の双発爆撃機です。
アメリカの双発爆撃機の場合、もうひとつのB-25、
ドゥーリトルの東京空襲に使われたミッチェルは、
世界中の博物館にある、ってな感じなんですが、
同じ双発爆撃機でも、B-26は意外に珍しいですね。
この機体は戦後、フランスの航空学校(軍のかも)に教材として
1951年ごろ引き渡されたもの、という事で
戦中にフランス義勇軍が使ったものではないようです。
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