■ここからいろいろ始まったのだ

さて、もう一度だけ確認しておきますと、
エジプトの北東、現在のイラン、イラク周辺で発生したのがメソポタミア文明です。

エジプトがローマ帝国に滅ぼされる(正確にはローマ皇帝の私領となる)まで、
ほぼ一つの国家であり続けたのに対し、
このメソポタミアのエリアはまさに常に戦国時代状態でした。

で、最初にその統一を成し遂げたのが、既に見たアッシリア。
次がアケメネス朝ペルシャで、そこにアレクサンダー大王が殴りこみ、
以後、ギリシャ人による支配がしばらく続きますが、
やがてローマ帝国時代になって、ササン朝ペルシャが成立する事になります。



アッシリアの跡を継いだアケメネス朝ペルシャの首都、
ペルセポリスから出土したライオンのレリーフ。

同じメソポタミア地方ですが、イランを地盤としていたペルシャ帝国は
アッシリアとはかなり異なる文化を持ちます。
このライオンの絵も、例のアッシリアのライオン狩りがかなり写実的だったのに対し、
だいぶ装飾的な画になってます。



おなじくペルシャ帝国の金のカップ。
これで毎日お茶を飲んでたのか、それとも祭祀用で、特別な場合だけ使ったのか。




これもペルセポリスから出土したレリーフ。

例のアッシリアでは門柱になってた怪物ですが、
こちらはスフィンクスの一種とされてました。
これもペルシャに入ると、微妙に芸風が変わってます。
なんか左手上げて、挨拶してますし…



これはインドから来た使節団と言うか、貢物を持ってきた人たち。
右側にはラクダも見えてます。

先頭の人たちが手を握ってるのは仲良しだからではなく、
宮廷に誘導する時の習慣だったらしいです。



こちらは紀元後、新世代のペルシャ、ササン朝ペルシャの遺物たち。
意外に地味なんですよね。


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