■二枚翼とは限らないあいつら

ここからはまた展示の機体を見て行きましょう。



Hanriot HD-1という単座戦闘機(Single seat fighter)。
私は全く知りません、この機体。
フランスのメーカーらしいので、Hanriotでオフィオットという感じの発音でしょうか。
第一次世界大戦ではフランスでは採用されず(少数は配備されたらしい)、
その代わりイタリアで主力戦闘機として、900機近くが採用されてます。
他にも、ベルギー、スイスで使ってました。

ちなみに一緒に見学してた地元のおじいさんはハンリオットと英語読みしてました。
ややこしいことに配備先がイタリアだと、発音はアンリオトとなるはずで、
まあ、各自好きなように呼べばいい、という気もしてきました、はい。

この機体もオリジナルで1918年製造、1979年にRAF博物館に来てますが、
どうもレストアはアメリカでやったぽいですね。



ブリストルM-1C。
これも単座戦闘機ですが練習機としても使われたようです。
1916年ごろドイツのフォッカーが送り出して来た単葉機(現代のような翼が一段の機体)に
対抗するために作られたらしいのですが、当時の技術で単葉機は機体強度的にみて
そう簡単につくれるものではなく、これもあっさり失敗作に終わります。

結局、一部がバルカン半島方面に送られたほかは
イギリス国内で練習機、士官用の連絡機として使われて終わったようです。

ちなみにこの機体はレプリカ。



ソッピーズのトライプレーン(triplane)単座戦闘機。
まあ、複葉を超える三葉機なんですが、問題はそのネーミング。
これ、三重を意味するトリプル(triple)と航空機のエアプレーン(Airplane)をかけたダジャレです。
戦争中になのにねえ(笑)…。

そんなネーミングセンスが原因かはわかりませんが、結局、1917年初頭にデビュー後、
147機だけ生産した段階で打ち切りとなり、同年の年末には全て前線から引き上げられてます。

が、失敗作だったかと言うと微妙なとこで、
この機体の性能に驚いたドイツ側が製造したのがフォッカーDr.1三葉機、
あのリヒトホーフェンの愛機だったりするわけです。

この機体も1917年製のオリジナルで、1930年代から展示に使われていた、
というある意味、由緒ある機体です。



ビッカースFB5 複座戦闘偵察機(Two seat fighter reconnaissance)。

このFB5はイギリスが1915年2月に初めて組織した戦闘機部隊、
第11飛行隊(No.11 Squadron)が使用した機体です。
第一次大戦の開戦から半年、この段階から
見てるだけじゃダメ、敵の航空機を落さないとアカン、となって来たわけです。

なので、まだ後のような小型で軽快な機体ではなく、
それまで使ってた偵察機に機関銃積んだだけ、という感じの機体になってます。
元々は偵察機なので、視界確保のためにエンジンとプロペラが機体後部にあり、
この結果、尾翼につながる胴体がありません。

強度的には極め不利な形状で、そこら辺を補うためか、
どうも尾翼と主翼部をつなぐ支柱には
鉄製のパイプ、鋼管をつかってるような感じですね。

が、胴体がないというのはそれ以外に直進安定性にも影響がでます。
空中に浮いてる飛行機は、その胴体側面を後ろに流れる気流が
機体を進行方向に安定させるポイントになっており、
尾翼だけでその安定を維持するのは困難なはず。

ついでに、異常ともいえるこの水平尾翼の大きさも、何かあったんだろうな、と。
それほど高速では飛ばなかったのでしょうが、
この機体、操縦は難しかったように思います。

で、この機体はレプリカです。



コードン G.III 偵察機(Caudron G.III フランス語読みならクゥードゥン)

偵察機 (reconnaissance) なので、この時代だと、
敵の陸上部隊の情報を集めてくるのが主任務でしょう。
ついでに、1914年配備開始らしいので、恐らく対飛行船の警戒飛行もやったはず。

が、見てもらうとわかりますが、この機体も胴体が無いのです。
コクピットの後ろで切れちゃってます。
上の機体と違ってプロペラは機首についてるので、胴体を外す必要はないのですが、
恐らく軽量化を狙ったんでしょうか。
が、当然、機体全体の強度も落ちれば、
直進安定性も落ちますので、性能的にはダメだったでしょう。
ついでにこの機体、よく見ると機体後部に着陸用のソリとかがなく、
どうも胴体着陸してたんでしょうかね…。
(胴体一番後ろの部分に厚めのゴム板が貼り付けてはあるのだが…)

この機体、フランス本土で調達してイギリスも戦時中使ったのですが、
あまり高い評価を与えておらず、間もなく練習機にしてしまってます。

1916年製のオリジナルで、戦後はベルギーで民間機として使用されていたのを、
イギリスの王立航空教会が1939年(微妙な時期だな)に買取り、
1972年、このRAF博物館の開館と同時に、ここに持ち込まれたものだとか。

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