■コスフォード ラストスパート
さて、いよいよRAF博物館コスフォードも終盤戦へ。
この展示棟、壁際に全体が見渡せるような中2階のテラスがあり、
そこにも偵察機の備品やら、対ドイツ爆撃時のマップやらのいろいろな展示がありました。
が、基本的に他の場所で紹介したようなものばかりなので、今回はパスします(手抜き)。
そこから見たハンガーの扉側。
人が集まってる辺りが例のスピットファイアお誕生会の会場ですね。
ちなみに、右手前にもう一機、スピットが見えてますが、
これは1/1のサイズで造られて模型(おそらく木製)。
個人の方が作って寄贈したものだそうです。
YS-11…じゃなくて、ホーカーシドレー アンドヴァー(Andover)。
Andoverというのはイギリスの地名のようです。
ちなみにこの機体も元はアヴロ社のもので、会社の統合で
ホーカーシドレーになってます。
原型はYS-11の元ネ…否、アヴロの民間機、748で、
その短距離離着陸能力に目をつけたイギリス空軍が輸送機として採用したもの。
一部は練習機にもされてようです。
デ・ハビラントのコメット1A。
下に見えてるのは例の1/1スピットファイア。
1949年に初飛行した世界初のターボジェットエンジンによる旅客機だったのですが、
全く新しい分野の機体という事もあり、致命的な欠陥を抱えてしまっていたのでした。
構造設計にミスがあり、その結果、金属疲労により、
3機の空中分解事故を起し(最初の1機は推定原因だが)、飛行停止となります。
コメットはジェット旅客機ですから、よりよい燃費で飛行するため、
抵抗が少なくてジェットエンジンが効率よく働く
空気が薄い高高度を飛ぶ設計になってました。
このため、客席内を地上に近い状態で維持するには、
従来より高い与圧をかける必要が出てきます。
これにより胴体部が膨らんだり、地上では元に戻ったりを繰り返す事になり、
金属疲労が発生、客席の窓周辺から亀裂が生じてしまうことに。
その状態で高高度を飛行中に与圧してしまうと、
空気を入れすぎた風船のように胴体が破裂、空中分解する、という事故につながりました。
この教訓から、以後のジェット機の客室窓は角に負荷が集中しない丸っこいモノに代えられ、
コメットもその改修を受けた上で生産が続行されるのですが
時既に遅し、その改修機が登場したころには既に時代遅れの機体となってしまいます。
その結果、デ・ハビラント社は経営が立ち行かなくなり、ホーカー・シドレーに合併される事に。
ちなみに、この機体は1Aらしいです。
1型は金属疲労による墜落で飛行停止となった初期のタイプ。
が、良く見るとこれは楕円型の窓になっており、事故後改修が行われたのかも。
塗装はいかにもコメットらしいBOACのものになってますが、
元々はエアーフランスに納入された機体で、
連続墜落事故後、改修、イギリスに送り返されたもの。
一番奥にある巨大な4発プロペラ機、アームストリング ウィットワースの
C1(AW.650) アーゴシ(Argosy)。
1961年3月に初飛行した輸送機で、Argosyってのは商用船、という意味らしいです。
正直言って、これもよく知らない機体です(笑)。
イギリス空軍、意外に輸送機関係が充実してたんですね。
この角度からからだと判り難いですが、真ん中に胴体があって、
尾翼はP-38ライトニングやヴァンパイアのような双胴式。
これも民間型があり、そっちはAw.660という名だそうな。
意外にタフで、このデカイ図体で、舗装されて無い、
ある程度までの不整地に離着陸できたとのこと。
さて、航空機紹介の最後は、前回紹介し忘れた(笑)、
スコティッシュ アヴィエーションのパイオニアCCI。
冷戦の館にあった双発の短距離離着陸機、ツインパイオニアという機体の前に開発された、
単発の短距離離着陸機。
この単発機があったので、あっちはツインパイオニアとなってるのでした。
後ろからだと判りませんが、翼の前縁にはスラットがあるし、
どう見ても、全金属製にしたシュトルヒじゃないのか、という気がしますが(笑)、
1947年に初飛行、180mの滑走路があれば離着陸できたとか。
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