■戦争はイロイロで
まずはこれ。
1939年の第二次大戦開戦をテーマにした展示。
あくまで開戦のとこだけで(笑)、第二次大戦の展示はまた別にあります。
当時の王様、ジョージ6世が開戦時にラジオで放送した
国王からのメッセージの原稿類。
右側の上着は、ジョージ6世の使っていた軍服で、
彼は空軍に居たはずなので、多分、その制服でしょう。
メッセージは非常に平易な英語で書かれており、
私でもほぼ理解できる、という内容。
敗戦時に、日本人が聞いても勝ったんだか負けたんだか
よくわからない内容のラジオ放送やった国とは大違いだなあ、と思ったり。
開戦と同時にちょっとしたブームになったらしい、ヒットラーをオチョくる
雑誌やら、オモチャやら。
イギリス人、こういう辺りは意外に大人げないんですよね(笑)。
と、その先の通路を曲がると、突然、フォークランド紛争の展示が。
あ、こりゃ順路をショートカットしてしまい、戦後の紛争コーナーに入ってしまいましたね。
が、もちろん後戻りなんてしませんで、
まあ、いいや、とそのまま見学を続けます、はい。
こちらは北アイルランド関連の展示。
今でこそ、イギリスは静かなものですが、1980年代前半まではIRAテロによって
先進国の中ではケタ違いの数のテロが引き起こされていた危険な国でした。
少なくとも、当時のロンドンに観光に来ようとは、私は思いません。
イギリスの西側にある小さな島がアイリッシュ(Irish)の住む島、
つまりアイルランドです。
ブリテン島のすぐ横にあるものの、これはイギリス本土、ブリテン島とは
歴史的にも民族的にも、そして宗教的にも別な地域で、
英語を話すとはいえ、イギリスとは全く別のエリアと考えた方がいい島です。
そもそも、ローマ帝国がここまで侵入せず、その後のアングロ・サクソンも
それほど熱心に進出はしてません(不毛に近い土地ばかりでやってけないのだ)。
なので、主にイギリス本土を追われたケルト人などが住んでいる島でした。
その後、12世紀に、ほぼイギリスの支配下に入りますが、
それでもその関係は、その後に比べれば、はるかにゆるやかなものでした。
結局、ここでも宗教がカギとなって来ます。
アイルランドにも、キリスト教が根付くのですが、
後に16世紀にイギリスが国王の離婚にケチつけられて激怒し(笑)、
バチカンと縁を切ってしまった時、アイルランドは、これに追随しませんでした。
となると、イギリスはプロテスタント(特殊な、だが)、アイルランドはカソリックで、
ここに宗教の対立の芽が生じます。
そして、カソリックの総本山、バチカンはもちろん、おなじカソリックの
スペインやフランスが、コレを利用して、対イギリス外交、戦争の
カードとして、アイルランドを利用し始めるのです。
当然、イギリスとしては面白くない。
なので、エリザベス1世女王の時代から、徐々にアイルランドの軍事的抑圧が始まります。
で、最終的には清教徒革命の後、クロムウェルが軍隊を率いて
1649年からアイルランドに侵攻、歴史上まれに見るといわれた
異教徒の虐殺を行って、事実上、アイルランドをイギリスの植民地とします。
その後のイギリスの支配も、極めて過酷なものとなるのです。
これが、その後続く、イギリスとアイルランドの血みどろの内戦の始まりで、
結局、1922年、プロテスタントを北アイルランドにに集めて分離、
残りが英連邦の国家の一つとして独立し、一応の決着をつけます。
が、これが独立国家と言うより、イギリスの傀儡国家に近いものだったため、
その結果に納得のいかなった人々と、指導部の間で対立が生じます。
ここからアイルランド内戦が始まり、結局、第二次大戦の直前、
1938年にこれ以上の戦争の火種が増えるのを嫌った
イギリスがしぶしぶ共和国として独立を認める事で、ようやく決着となるのです。
が、この内戦によるゆがみと、先に述べた北アイルランドがイギリスに残った問題で、
アイルランド共和軍、通称
IRAが第二次大戦後、テロ活動を開始する事になる事に。
彼らの最大の目標はイギリスから北アイルランドを取り返す、でしたから、
その標的はイギリス本土、さらには政治家などの要人もターゲットになりました。
その活動があまりに過激で、次第にアイルランド国内でも支持を失ったのと、
80年代世界最強の女、サッチャーが強烈に締め上げたのとで、
その後、90年代に入ってテロは激減するのですが、
それでも90年代前半くらいまでは、暗殺は年間数十人単位で起きてました。
(最後に1996年に連続爆弾事件がマンチェスターとロンドンの東で起きてるが)
それを考えると、今のイギリスは別の国のように静かで、平和なのです。
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