■空と地上



その機体の内部に貼られていたプレート。
ゼロ戦は開発した三菱だけでなく、中島飛行機でも生産されており、
これはその中島製の機体のようです。

気になるのは上から二番目の使用機体のとこで、零式艦上戦闘機という表記の、
途中の2文字が墨で塗りつぶされてしまっています。
いろいろ見てみたんですが、なにせ暗くて読み取れず。
ただどうも三菱、という字のような印象があるんですが(笑)…

次の機体番号は表記なし、自重は適当感あふれるキリのいい数字が入ってます(笑)。
ちなみに60.000kgとのこと。

その下の検印欄は真ん中に中の字、左右に判読不能な二文字が入っていて、
最後の製造番号は、中島の1100号となってますね。
何型か、製造年月日はいつか、といった情報はないようです。
エンジンとかには製造年月日まで入れてるのが多いんですけど。

…ってあれ?1100号機?
終戦後に差し押さえを食らった機体としてはえらく若い番号のような。
52型として1100機目とか、そんな意味でしょうかね。



これはちょっと説明が居る展示(笑)。
モノは例のドイツの双発戦闘機、Me110の尾翼部です。
となりにはボロボロになったDB601Aエンジンも置いてありました。

これは見てわかるように、不時着して破損した機体の残骸です。
が、この残骸はちょっといわく付きなのです。

このMe110がイギリス本土に不時着したのが時に1941年5月10日。
そして、この機体のパイロットの名はルドルフ・ヘス。
つまり当時ナチス党で副総裁の地位にあった男でした。

もっとも彼が副総裁になれたのは、毒にも薬にもならない男だからで(笑)
ある意味、飾りに過ぎない、という人物でもありました。
ヒトラーがヘスについて
「彼が総裁になるようなことがあれば、彼にとっても党にとっても悲劇だ」
と述べてたと言われ、まあ、実務能力のある人ではありませんでした。

でもって、その実力相応にナチス党内での地位が低下し、
さらに神経質でまじめな性格から、ノイローゼに近い状態となり、
突然、自分をナチス党の代表であるとして、イギリスにこの機体で飛んで行ってしまうのです。

驚いたのはヒットラーで(笑)、ヘスが飛び立ってから数時間後にそれを知らされ、
大慌てで、ヘスが発狂してイギリスに逃げた、と発表します。

実際、本人も明らかに精神に異常をきたしていたようで、
受け入れたイギリス側も、事実上、黙殺してしまうことになるのでした。

ちなみに、この飛行にはMe110のメーカー社長であるウィリー・メッサーシュミットが
ヘスに命じられて協力していたため、彼もその関連を疑われるハメになってます。

ついでに、ヘスが戦時中に幽閉されていたのが、あのロンドン塔ですね。



高速機専用の対空ミサイルとして開発された、サンダーバード2。
例によってブースターロケットが本体の周辺に付いてるのがイギリス流。

基本的には、この車輪付きの発射台で運用され、
どこにもでも移動、展開できる、というようになってたらしいです。

ちなみに1960年から配備が開始されてるので、例の国際救助隊より
こっちの方が先です(笑)。



1982年のフォークランド紛争の時、イギリス海軍をエライ目にあわせた
フランス製空対艦ミサイル、MM38エグゾセ。
元々は艦対艦ミサイルだったものから、
さまざまなバリエーションが開発されたものらしいです。

紛争時には、アルゼンチン海軍が使ったわけですが、
皮肉なことに、このミサイル、イギリスも運用していたのでした。



で、今回の旅行の目的の一つとも言えるのが、これ(笑)。
ドイツが開発した対空射撃管制レーダー、ヴュルツブルグ。

対空警戒レーダーであるフライアが敵機の接近を捕らえ、
その後で、このレーダーがより詳細に情報を拾って、
だいたい4門前後で1組となっていた対空砲部隊に、目標を指示するわけです。

この点は散々、夕撃余談内の“F22への道”で解説したので、もういいですね(笑)。

で、前回の旅行ではコレを見た記憶がなく、当然、写真もなし。
おかげで、F22への道の記事中でえらく苦労したのですが、
今回は、キチンと撮影に成功。やれやれ。

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