■それでも戦車は行くのだ



さて、ここら辺りからは、やや奥のほうの展示を見て行きます。
なぜかイギリスの戦車は、この奥の方にこっそり展示してあるのです。



個人的に、第二次大戦でもっとも影が薄い主力兵器はイギリスの戦車ではないか、
と密かに思ってるのですが、基本的に変なのばかりです(笑)。

とりあえず最初はこれ、チャーチル歩兵戦車のマーク VII(7)。
歩兵戦車(Infantry tank)というのは、機甲師団を組んでブイブイ言わせたる、
といったタイプではなく、あくまで歩兵と連携して作戦にあたるタイプの戦車だそうな。

第二次大戦開始直後、ドイツの電撃戦にビックリしたイギリスが、
あわてて開発をスタートさせて、1941年から生産が開始されたのがこの戦車。

装甲はそれなりにあり、途中から強力な75mm砲の搭載も始まるものの、
なにせ重すぎて速度が出ないうえ、航続距離は160kmを切っていたとも言われ、
全体的には微妙な感じがしますね。



横から見るとこんな感じ。
無限軌道(キャタピラ)が車体と同じ高さまで来てるのが変わってるうえ、
その無限軌道の形状も、横に歯がデッパてるような、あまり見ないタイプです。

ついでに、この名前のチャーチルは当然、当時の英国首相、チャーチルから来てるんですが、
当時の参戦国で、本人が生きてる間に、その名を兵器に付ける、
という無茶はスターリンとこの人位しかやってないような気がします。
アタマの中の構造は、この二人、意外に似てたんじゃないか、とか思ってたり。
チャーチルも自分以外の人間が何人死のうが、あまり気にしないタイプですし。



ちなみに車体下を覗きこむとこんな感じ。
けっこうすっきりしており、さらに車体幅が意外に狭いのがわかります。



なぜかその横に置いてあったドイツの7.5cm山砲(Mountain Gun)L 17/08。
第一次大戦時、植民地の防衛用に使われたものらしいです。

山砲というのは、軽量かつ分解しての運搬が可能な砲で、
当時のドイツ植民地の乏しい兵員と資材で運用できる砲だったわけです。
が、ご覧のように、えらく原始的な構造で、
さすがに12門だけ造られてオシマイになった、とのこと。


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