■とりあえず地上物から
入り口すぐ横に小さな部屋があり、何か発掘風景みたいな写真が展示されてる。
なんだこれ、と思ったら、第一次世界大戦時の激戦地の発掘を行って
回収したものだそうで、そんなことまでやってるのか、と驚く。
写真は出土した砲弾の信管部(左下)と各種軍装品。
英連邦として参戦していたオーストラリア軍のものらしいです。
こちらは2007年3月、イラクのバクダットであった爆弾テロで破壊された自動車。
それって戦争ではないやん、と思うも、
こういったものまで展示するのは、ある意味フトコロが深いな、とも感じるところ。
さて、ここから本格的なホール内の展示物の見学となるんですが、
とりあえず、陸海空で分け、最初は陸関係から行ってみましょうか。
なんじゃこりゃ、って感じに背の高いポールと台車からなるこれは、
第一次大戦時にドイツが使った支柱付望遠鏡(Mast
periscope)。
ペリスコープなんですが、適当な日本語訳を思いつかないので望遠鏡で。
ちなみに、Periscope
は潜望鏡のように鏡で光を90度曲げて見る
タイプの望遠鏡を指します。
展示では支柱を畳んだ状態にしてあり、実際には25mもの高さまで伸ばせます。
まあようするに、高いトコから周囲を見回して偵察する、というもの。
単眼鏡なので、距離感はつかめず、
あくまで周囲の観測用で着弾観測とかは考えてないようです。
ちなみに、制約が多くて使えなかった
観測用気球などより現場では評判はよかったそうな。
第一次大戦時のイギリスの戦車、マーク V (5)
。
イギリスが1916年の秋に戦場に送り出したマーク I が世界初の近代戦車(Tank)ですが、
そこから改良が重ねられ、1918年春にデビューしたのが写真のマークV
(5)戦車です。
ただし、どこがどう変わったのかは、私にはよくわかりません(笑)。
とりあえず、運転が容易になり、エンジンパワーも上がってる、といった感じらしいです。
この世代のイギリス戦車にはオス、メスがあり(笑)これは6ポンド砲搭載のオス型。
対して、7.7mm機関銃しか積んでなかったのをメス型と呼びます。
なんで大砲を積んでる方がオス?という質問には
品位を重んじる夕撃旅団としては解答できない、としておきましょう(笑)。
第一大戦でイギリスが生み出した新兵器、戦車.。
なんでコレが生まれたか、というと第一次大戦では地上の戦闘が、
それまでとは根底から変わってしまったからです。
塹壕、つまり地面に広い溝を掘ってそこに兵隊が潜ってしまうと、
当然、こちらの小銃の弾は当たらず、砲弾の爆風でも吹き飛ばせなくなります。
(至近弾ではだめで、直撃か榴弾を真上で破裂させるしかない)
なので、そのままだと、塹壕にこもった敵が守る前線はなかなか突破できません。
すなわち、戦闘は完全に膠着状態に陥ります。
従来の戦争なら、そこに皆でワーッと突撃して、白兵戦で一気に塹壕を占拠する、
という手があったのですが、ここに機関銃が登場するのです。
たった一つの機関銃の銃座が塹壕に据え付けられただけで、
突撃に向かった歩兵は全員、あっという間になぎ倒されてしまう事になります。
こうなってしまうと、全く手が出ませんから、
未来永劫、戦線は両者が塹壕を掘った場所で膠着、
という事態になってしまうわけです。
そして実際、そういった状況になっていたのが第一次大戦の西部戦線でした。
そんな状況を打破するべく生み出されたのが戦車だったわけです。
後ろから見るとこんな感じ。
屋根の上から後部に向けて伸びてる管は排気管。
上に出すだけで良さそうなもんですが、
なんでこんな構造になってるのかは、よくわかりません…。
さて、そんな第一次世界大戦で陸軍が陥った膠着状況を打破するべく、
立ち上がったのが後の英国首相、当時は海軍相だった
チャーチル率いるイギリス海軍で、かれらは陸上艦委員会(Landships
Committee)
なる組織を1915年に立ち上げ、戦車の開発を開始します。
なんで海軍が…というのは、チャーチルだからなあ、としか説明できません(笑)。
で、要求される性能は
●塹壕を乗り越える事ができること。
●敵の機関銃弾を防げること
●戦線突破後、自力で敵の背後戦力を叩く火力を持つこと
といった辺りでした。
なので塹壕を乗り越えるため、車体と軌道は長くされ、
敵の機関銃から身を守るために鉄板の装甲(実際は撃ち抜かれる事もあり)を持ち、
そして左右に火砲を搭載して、敵の後方戦力を破壊する、という設計になっています。
が、1916年9月に登場したマーク I はかなりガッカリな結果しか残せず、
そこから急速に開発が進行し、1918年春から戦線に投入された、
このマーク V(5)で、一応の完成を見た、とされます。
それでも、やはり塹壕は突破できるものの、その先の掃討、占領といった行動は
全く出来ませんから、むしろ塹壕と敵の後方戦力に挟み撃ちにされてボコボコに、
という事態が頻発したようで、思ったほどの戦果を上げることはできなかったようです。
この点は、あの自国兵器ラブのイギリス人が認めるほどですから(笑)、
よほど悲惨だったのかも知れません…。
ちなみにこのプロジェクトの責任者だったチャーチルは、
途中でガリポリ上陸作戦の大惨敗の責任を取り、海軍相の地位から去っています。
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