■ローマは意外にショボかった
4世紀ごろのローマのヨロイ。
ヨロイにしちゃ変だな、と思ったら、これはパレード用、
一種の式典専用の衣装なのだとか。
ちなみにワニ革製で、良く見ると金色に塗られていた跡が見えます。
まあ、軍にこの手の余計な装飾品が出てくるのは国家としては末期でして(笑)、
間もなくローマは東西に分裂し、衰退を続ける事になります。
こちらはローマ支配化時代のエジプトの遺物。
以前のミイラマスクからすると、えらく写実的になってます。
こうしてみると、今のアラビア系の人種がやはり古代エジプトでも
その中心だったみたいですね。
共和国時代から帝政時代にかけ、ローマ郊外の街道沿いには墓所並ぶエリアがあったのですが、
これはそんなとこからカッパらって来た墓碑の彫像類。
この3人は右がご夫婦で、左が娘さん。
3人一緒に入ってるのか、お父さんが入るときに、
せっかくだから3人で彫ってもらっちゃったのかはわからず。
これだけの墓を作っちゃうんだから、相当な財力があったはずですが、
この墓の主、Philomusus さんは解放奴隷だった人なのだとか。
この解放奴隷から財を成した人は意外に多く、そういった成り上がりが
可能だったのがローマの社会だったのかも。
それにしても、エジプト、アッシリアからペルシャ、そしてユダヤ人の国、
さらにはギリシャからローマまで、奴隷と言う存在が必要不可欠な
社会構造の国ばかり、というのはある意味人間の業ですかね。
貨幣経済が中途半端だと、労働は強制によるしかないので、
ある意味、必然ではあるんですが、最良の手段ではないのも事実でしょう。
人類はこの3000年で、かなり賢くなった、と言っていいはずで、
昔を懐かしんでも、得られるものなんて、何もないんですよ、ホンマに。
このレリーフは、まさにジーザスのダンナが十字架でエライ目にあってる頃のもの。
西暦0年前後、つまりアウグストスが皇帝になって、絶好調だった時期です。
で、女性二人の日本の髪結いみたいなヘアスタイルは、
当時の宮廷女性のスタイルだそうで、
当時から、そういった“セレブへの憧れ”的な流行はあったんですねえ。
こちらは芝居で使われた仮面、マスクです。
紀元1世紀前後のものだとのこと。
日本の能面とかと同じようなもんなのでしょう。
が、右下の仮面…。
ある日、芝居の稽古に行って、あ、君の役はこれだから、
とあのマスクを渡されたら、私なら、泣きながら海岸でカニと戯れますね…。
ここら辺も例のテラコッタ焼き物による人形。
喜劇役者のものではないか、との事ですが、
かなり強烈な個性の持ち主が多いですね…。
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