■いくつかの道はローマに通じてた
さて、ここのローマコレクションは全体的にショボイのですが(笑)
唯一、充実していたのがローマ皇帝達の彫像類。
ここでは、有名どころをざっと紹介しておきましょう。
まずは本人は皇帝になれなかったものの、
古代ローマが共和制から帝政に切り替わる道を開いた、
ローマ一番の有名人、ユリウス・カエサル、英語読みでジュリアス・シーザーさん。
紀元前44年に、あのブルータスと不愉快な仲間達に暗殺された政治家です。
イギリス、ブリテン島に初めて進出したローマ人でもあります。
もっとも、そちらは武力偵察、という感じだけで帰っちゃいますが。
古代ローマを代表する英雄ですが、見た目はややショボいようで(笑)
ハゲの執政官と呼ばれていたのがよくわかる面影です。
やや神経質な感じも受けますが、こればかりは本人に会ってみないとわかりません。
この人はとにかく文章家で、どこまでホントに本人のものか、
というのは一旦、置いておくとして、とにかく膨大な記録を残しました。
日本で言えば、信長が桶狭間から本願寺攻めに至るまで、
「信ちゃんの決戦日記」を毎日欠かさず付けた上、
それらを要所要所でまとめて、本にして配ってたようなもので、
こういう事をやった政治家は、未だに他に居ないんじゃないでしょうか。
それによって、後々までもっとも良く知られたローマ人になるのですが、
それとは別に、人類史上最強といっていい能力をこの人は持っていました。
それが人の才能を見抜く能力で、本人がアホみたいに有能なのに加えて、
その周りには最強とも呼べるメンバーが揃う事になります。
議会制の政治の限界を感じていた彼は、個人による独裁を少しずつ推し進め、
それを恐れた反対派によって暗殺されるわけです。
が、彼の頭にあった独裁は、周囲が恐れたような王政ではなく、
現代のアメリカ社会に近い、大統領制に似たもののように見えます。
その死後、公開された遺言では
、遠縁に当たるものの、誰もが思いもしなかったオクタウィアヌス、
後のローマ初代皇帝アウグストスを後継者に指名、
(ただし個人遺産の相続であって社会的な地位の相続ではなかった)
これによって、事実上、ローマの黄金期、
帝国としてのローマへの道を開くことになるのです。
彼の生涯で最大のヒットは、この後継者選びだったかも知れません。
余談ながら、彼の存命中に、ローマでは暦の大きな変更があり、
この時、それまで月の運行を基にしていた太陰暦から、
近代的な太陽暦へと大きな転換が行われました。
これがユリウス暦です。
で、その際、彼はちゃっかり自分の生まれた月、
7月(旧5月)の名前をユリアス(ジュリアス)にちなんだものに変えてしまいます。
それゆえ、今でも7月はJuly なわけです。
で、これがカエサルの後継者であり、初代ローマ皇帝であるアウグストスさん。
これは大理石像ではなく、銅製でちょっと変わってますね。
つーか、なんでこんなシマラナイ表情なんだ、この像…。
大抵の皇帝像はちょっとシカメッ面で思慮深そうな表情なんですが。
これ、目はガラスと石がはめ込まれていて妙にリアルで、
さらに元々は全体が塗装されていたようです。
この像はスーダンにあった寺院の遺跡から発掘されたものですが、
最初はローマ支配下のエジプトで造られたものだったのが
戦乱で持ち逃げされ、そこに埋められてたらしいです。
本来、全身像だったのを、わざと首だけ切り取った跡があるらしいので、
ローマとは敵対関係にあった連中の戦利品、という事でしょうか。
(入口の下に埋めてあり、参拝者が踏みつけるようになってた、という話も)
このアウグストスが、カエサルの後継者として地道に足場を固め、
紀元前27年、ローマ初の皇帝となります。
それまでの共和制を廃して、ある意味、独裁体制を築くわけです。
独裁が悪いイメージを伴うのは、
それに相応しくない人物がその座に着くことが多いからで、
本来の政治的なシステムとしては、理想的であり、ベストです。
特に、その意思決定のスピードは魅力でしょう。
国家にとって、もっとも重要な予算案一つ通すのに、
議会制民主主義だと、どれほどの労力と時間がかかるかを
考えてみればわかると思います。
ただし、その地位に相応しい能力、人間性、思考力、耐久力を
持つのは、一般に人間の限界を超えるので(笑)、
現実問題としては、無理があります。
が、そんな理想に限りなく近い能力を持った歴史上の人物の一人が、
このアウグストスで、彼によってローマの黄金時代が始まります。
ついでに、政敵であるアントニウスがプトレマイオス朝のクレオパトラと組んで
彼に敵対したため、3000年以上の歴史を誇ったエジプトを
滅ぼしてしまったのも、この人です。
ただし、カエサルと違い、人物の能力を見抜く力には欠け、
(彼の生涯を通じて有能な補佐官だったアグリッパはカエサルが抜擢したもの)
その後継者選びは大失敗に終わり、その結果、
一時期、ローマの政治は混沌とする事になるのです。
ついでながら、8月、Augustは彼の名前に由来します。
次は、この人たち。
まず左が第14代ローマ皇帝ハドリアヌスです。
西暦117年から138年、約20年と言う長期にわたり、皇帝を務め、
当時、緩やかに傾きつつあったローマ帝国を建て直したのが彼です。
イギリスの北部にある国境の防壁、
いわゆるハドリアヌスの長城を築いたのもこの人なら、
ユダヤ教を禁じた結果、パレスチナでおきた反乱を3年近くかけて鎮圧、
その後、エルサレム周辺から全てのユダヤ教を追放し、
宗教を捨てなかったユダヤ人を流浪の民としたのもこの人でした。
ちなみに右のイケメンはアンティノウスさん。
この人は誰か、というと、ハドリアヌスの恋人です。
もちろん、男の人であり、ゆえに結婚できなかったので恋人でした。
この点は、当時のローマ帝国では誰もが知ってるどころの話ではなく、
彼が事故死をした時、ハドリアヌスはまるで国家総動員、という状態で
追悼を行い、その死を悼みました。
…こういった感じに展示がしてある、ってのは、
この博物館にも“そういった方面に理解がある”
学芸員さんがいるんでしょうか…。
そのハドリアヌスの跡を継いだアントニヌス帝。
この人の治世も長く、138年から161年までの23年に及びます。
とにかく何も無かった人で(笑)、
長期政権を維持したローマ皇帝としては珍しく、
その在位中、一度も戦場に出陣してないどころか、
そもそも大きな戦乱すらありませんでした。
これが彼の統治能力だとすれば大したものですが、
どうにもつかみ所のない人で、正直、よくわかりません(笑)。
共同浴場の建設で知られるカラカラ帝。
ちなみに、本名でないのですが、
通常、ニックネームのカラカラの名で呼ばれてます。
西暦209年から217年まで皇帝の地位にありました。
ローマ皇帝は、あの広大な帝国の権力を一手に握るわけで、当然、
その地位に相応しくない人物がその座に付いてしまうと、
恐ろしい暴政が始まる事になります。
第5代皇帝 ネロが最初にその可能性を示したのですが、
以後もその教訓は完全には生かされず、何人かの暴君を生み出してしまいます。
で、中でも最悪だ、といわれてるのが、この人、カラカラなのです。
自分の悪口を言ったヤツがいる、というだけの理由で
エジプトのアレクサンドリアの市民を万単位で虐殺したのが有名ですが、
結局、最後は暗殺されて終わります。
ただし、政治的な暗殺ではなく、突発的な、事故的なもので、
逆に言えば、意外なまでに彼は国内を掌握していた事になります。
つまり、無能ではなかったわけです。
よって、有能で残虐、という、最悪なパターンだったという事に。
一番、権力を与えちゃいけないタイプですね…。
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