■狩の終わりと戦いの記録
そのレリーフの片隅にいる、犬達。
これがもう、ライオンくらいならオレらにまかせておくんなさい、
ってな感じに巨大な犬ばかり。
なるほど狩猟民族だ、完全に大型の猟犬ですね。
今回の教訓:
エジプトはネコ。メソポタミアは犬。
レリーフの中央辺り、なんだか木に囲まれたエリアが。
解説によると恐らく観客席ではないか、との事。
良く見ると木に登ってる人ととかが居るので、そうかもしれません。
おなじ部屋に展示されていたのですが、ちょっと雰囲気の違う絵。
で、これも右側にかなりデカくてコワモテの犬達が見えてます。
間違っても、ポチとかシロとかの名前は似合いそうにない感じ。
良く見ると、左端には人間に連れられたライオンも居ますね。
これも猟に連れて行かれてしまうんでしょうか…。
さて、ここからはもう一つのレリーフの部屋へ。
ラキシュ(Lachish)攻防戦を描いたもので、戦勝記念として造られたこのレリーフは、
紀元前700〜681年ごろ製作されたようです。
これも後期アッシリアの首都、ニネヴェから出土したもの。
右上がラキシュの要塞都市の城壁で、右下ににそこまで架けられたハシゴが見えます。
左から、歩兵がハシゴに向けて進んで行ってるのですが、
よく見ると弓兵が前に出て、その援護をしてますね。
先にチラッと書いたように紀元前701年、センナケリブ(Sennacherib)王による
ユダヤ人国家、ユダへの侵攻が行われました。
この時、エルサレム包囲戦に先立ち、もう一つの戦いがあったのです。
それが、ユダ最強といっていい要塞都市だったラキシュの攻城戦です。
旧約聖書のイザヤ書によれば、
占領後、センナケリブはこの街を前線司令部としていたことがうかがえます。
ただし、エルサレムでは一晩でアッシリア軍を壊滅させたヤハウェ閣下も、
なぜかこの戦いには全く参加せず、ラキシュは陥落してしまいます。
なので、この戦いそのものは聖書には出てきません(笑)。
読んでいると、いつの間にやら、センナケリブがそこに居ます…。
ちなみに、この時のアッシリアの軍司令官はラブ・シャケという、
冬眠前のクマみたいな名前でした…。
ここはエジプトとエルサレムを結ぶ街道上で、重要な戦略地点でもあったため、
真っ先に攻め込まれ、そして落城します。
当時の貿易の中心地で、豊かな商業都市でもあったようです。
ここで捕囚となったユダヤ人はかなり残酷な仕打ちを受けたとされますが、
ユダヤ人もあちこちで同じようなことやってますから、お互いさまでしょう。
その奥には城壁に取り付く歩兵を援護するべく、斜め上に弓矢を構えてる弓兵が見えます。
さすが最盛期のアッシリア帝国、かなりの兵数です。
この場合、城壁に向かってなんぼ撃ち込んでも無駄ですから、可能な限り、
上の方向に打ち上げ、放物線状に飛んでいった矢が、防御の無い空から
城内に降り注ぐように狙っているはずです。
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