■八百長ハントで



で、王様の乗る馬に引かれた二輪戦車(chariot)が入場して来ます。
はい、出陣ではなく、入場です。

ライオン狩といっても男のサバンナに出て行って、
男の拳で、男としてライオンども渡り合う、といった勇壮を通り越して
もはや無謀、というものでありません。

あくまで王様ってスゲーという印象を国民並びに臣下どもに叩き込むためのショーです。
あらかじめ用意された場所に捕らえておいたライオンを連れ込み、
このチャリオット、馬に引かせた二輪戦車を使って、
多数のお供とともに、安全にライオンさんを叩きのめします。

…要するに、できレース、ヤラセですな。



レリーフの下、檻から追い出されるライオンが見えます。
上はそれを馬で追う人たち。
こうして見ると、半遊牧民の末裔なわけです。
エジプトでは馬に乗った人物の絵も彫像もあまり見た記憶がありません。

ライオン、本来は臆病な動物ですから、こうして追いたてられると逃げてしまうんでしょうね。
左下には、早くも多くのヤリを食らって傷ついたオスのライオンが見えます。

彼らの恨みでアッシリアが滅んだのだとしたら、ザマーみろだと思います、はい。



次々と倒されてゆくライオンたち。
こんなことやってたんじゃ、バビロニアからシナイ半島あたりのライオンは、
紀元前にすでに絶滅してたんじゃないか、という気が。

ちなみに、こうして見ると一気にたくさんのライオンが放たれてるように見えますが、
実際は1匹、多くても数匹ずつ放して行ったようです。
まあ、卑怯とチキンの極みって感じですね。



で、その向こうに居るのがこれ。
王様の乗った二輪戦車。
しかも一人ではなく、お供の人と一緒に戦ってます。

ライオンが車輪に噛み付いて、まさに必死の戦い、と言う感じの絵ですが、
これは演出じゃないかなあ。
ライオンがやる気なら、戦車を引いて脚が遅くなってる馬を狙うか、
あるいは後ろから追ってくる人を載せてる馬を襲うんじゃないでしょうか。

実際は、逃げ惑うライオンを一方的に殺戮して行ったんじゃないかという気がします。



これは別のシーンの王様。
後ろのライオンはお供にまかせ、本人は弓矢で前の方を狙ってます。

ちなみに、この馬に引かせる戦車と言うのは
アッシリア帝国からペルシャ帝国にかけての主力兵器であり、
対抗する意味でエジプトなども運用していました。
戦国期の中国も使ってますね。

おそらくこれのルーツもメソポタミア文明で、世界で初めて本格的に運用を開始した
ヒッタイトの国では紀元前18世紀から使っていた記録が残ってるそうな。

ただし、その派手な印象の割には機動力が弱いなど、難点も多く、後のアレクサンダー大王は、
密集隊形の重歩兵と、騎兵だけで、
ペルシャ軍をケチョンケチョンのシオシオのパーにしてしまうのです。
以後、二輪戦車は戦場から姿を消してゆく事になります。


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