■ドクロはいつも謎めいて
16世紀にイスラム圏で造られたお皿。
まあ、エジプト圏に比べると、メソポタミア文明圏は元々絵心がないんですが、
それにしても、16世紀にもなって、これはどうか…。
ブサイクなネコみたいのはライオン、奥にいる専業主婦のオバちゃんみたいのは、
あれで太陽を象徴してます、はい。
両方とも王権の象徴ですから、宮廷か神殿などで使われたものでしょうか。
ちなみに現代のライオンはインドとアフリカにしか居ませんが、
かつてはメソポタミア全域、現在のイラン、イラクからシナイ半島、
さらにはトルコ周辺にまで生息していました。
が、ここら辺の連中が、ライオン狩で狩り尽くしてしまい、
あのエリアのライオンは全滅してしまうのです。
11世紀から13世紀にかけて造られた銅製の鏡。
上の方にある円形のデザインのものは、中国の銅鏡の流れをくむものでしょうね。
この手の銅鏡は日本でも盛んに造られてますから(初期はほとんど輸入だと思うが)、
世界は意外に狭くて、そしてお互いに繋がっているわけで。
さて、イスラム関係の展示を抜けると、例の生と死について、
の展示コーナーに戻ってきてしまう。
そこで、先ほど見逃してたものを発見。
これは19世紀から20世紀にかけ、欧米で話題になった、
水晶ドクロのひとつです。
19世紀末、古代文明の遺跡で発掘された、という触れ込みで、
いくつかの水晶製のドクロが、古美術商などに売り込まれます。
写真のこれは先に紹介したメキシコにあるアステック文明の
15世紀ごろの遺跡から出土した、とされていました。
鉄すら持たなかったとされる文明が、これだけ高度な加工を行った、
との事から、神秘的な出土品、という事になったわけです。
が、間もなく、明らかに近代の工具で加工した跡が見つかり、
さらには表面仕上げに使ったシリコンワックスなどが一部残留しており、
19世紀に製造されたものだ、と判定されてしまいます。
ちなみに、製造地はドイツかブラジルのどっちかだ、との事。
が、よほどその作り話が巧みだったのか、多くの人がコロっとだまされ、
この博物館だけでなく、スミソニアン協会をはじめ、
欧米の複数の博物館が、おなじような水晶ドクロを所有しています。
ちなみに、スミソニアンも、独自の調査でパチモンである、
との結論に達したようです。
で、この展示は、そういったインチキ考古学の一例として置かれているのでした。
さて、その地下、モアイの前にある階段から下に行くと、
アフリカコーナーとなっています。
さっそく行ってみましょうか。
ジーザース イン アフリカ。
いや、まさにイエスの生涯クライマックスなんですが、
何か緊張感が足りないような…。
同じ宗教でも、地域が変わると、結構、印象が変わるものですね。
しかし、こうして見るとシャガールとかが画家でやって行けたのは、
彼がヨーロッパ在住だからで、アフリカじゃこの手の絵を描くやつなら、
ウチの村に一人、隣村には三人いるぜ、みたいな感じのような。
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