■恐怖の思い出
さて、屋外展示に続いてここにもあったT-34/85。
いかに韓国軍がこのT-34/85に衝撃を受けたか、という事でしょうね。
ある意味、ドイツ以上にこの戦車の恐怖を味わったのが彼らなわけで。
ちなみに、北朝鮮が開戦時に装備していたのが約250両のT-34/85でした。
この数は第二大戦時の独ソ戦でもそれなりの戦力、というレベルで、
これが一斉に丸腰に近い韓国に殴りこんだのですから、そりゃ圧勝しますね。
ただし、金ちゃんは予備戦力をもってなかったので、
アメリカがスーパーバズーカやM26戦車を投入して
前線のT-34/85を片っ端から撃破してしまうと、あとは総崩れとなったのでした。
写真のように砲塔を後ろに向けるのは移動中の姿勢です。
本来は移動中に砲身がガタついて故障の原因にならないよう、
砲身を固定するはずなんですが、T-34にはそういった固定装備が無いようです。
となると、後ろに向ける意味があまり無いように思いますが、
砲塔のバランス的に後ろに向けた方が揺れないんでしょうかね。
余談ながら、朝鮮戦争で、アメリカ陸軍が撃破したT34/85、とされる
写真の多くが、この状態、砲塔を後ろに向けた状態で写ってます。
常識で考えて、この姿勢で戦闘に入ることはなく、
さらに敗走を追いかける形になってましたから、
アメリカ陸軍による先回り待ち伏せも考えにくい状況です。
となると、正しい答えは唯一つ。
実は道路を移動中に空からナパームで焼かれた戦車、という事です。
なので、アメリカ陸軍の戦果にされてるものでも、
実際は航空攻撃による撃破、ってのが意外に多い気がしますね(笑)。
ついでに建物の床の保護のためにパッドが入れられるのにも注目。
よくよく考えたら、30t以上ある戦車をよく建物の2階に入れたなあ…。
床、抜けないんでしょうか。
なぜかT-34/85はどの博物館でも運転席のハッチが開いてます(笑)。
中を見るとこんな感じ。
ちなみに一手番手前のレバーが操縦桿で、この戦車のハンドルなんですが、
これでどうやって左右に曲がるんだかはようわかりません…。
がらんとしてるのは、座席が取り外されてしまってるからと、
同時に、砲塔の下のバスケット、下部回転部分がない構造だからでもあります。
なのでT-34/85では砲手や車長のイスは上の砲塔内部に固定されて付いており、
戦闘中はそこに座って砲塔と一緒に回ることになるのです。
じゃあ砲弾はどうなってるのだ、というと、砲塔背後のスペースに詰め込んであり、
戦闘中はそこから砲弾を取り出して使っていました。
博物館の解説によると、ソ連製のM-1939 85mm 高射砲だそうな。
朝鮮戦争中に北朝鮮側が使った主力対空砲のようですが、
よう知りません(笑)。
ちなみに砲口部に砲口制退器(マズルブレーキ)があります。
これは発射時のガスを砲口にある隙間から左右やら上下に逃がすことで、
砲弾を撃ちだした時に生じる後ろ側への反動、
すなわち砲身への反作用の力を押さえ込む装置です。
基本的に、砲身内で砲弾の加速が終了した後にガスを抜くため、
発射直後から真後ろに盛大にガスを噴出す無反動砲と異なり、
砲弾の速度をほぼ落とさずに反動だけ減らせる、というメリットがあります。
(当然、減少させたとはいえ無反動砲に比べればはるかに大きな反動が来る)
ただ、これをつけると発射の瞬間に砲身がぶれやすく、
長距離の弾道の正確さが重要な対空砲につけてるのは
あまり見た事がありません。
ソ連なりの兵器運用哲学でもあったんでしょうか。
(より正確な射撃が必要なはずの戦車砲に
ドイツ軍やアメリカ軍は装着しまくってるのは短距離戦が主だからだろう。
それでもこりゃアカンとアメリカはM-60で採用をやめてる)
あるいはあまりに威力がありすぎて、これが無いと
砲身がもたなかったとかでしょうかね。
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