■気軽に超えてゆこう
床に輝く、そっけ無い38の数字。
これ、38度線の再現ですね。
当時の境界線は道路に白い線と数字が書いてあるだけ、
というシンプルなものでして、ある意味、忠実な再現です(笑)
なので開戦の時も特に北朝鮮が厳重な国境ラインを突破した、
みたいな事はなく、みんなで戦車に乗ってこの線を越えただけなのです。
せっかくだから私も超えてみましょう。
ついでに、この線を引いたのはアメリカのはずで、数字が読めるほうが韓国側、
つまりこの展示では北朝鮮への侵入を再現となります。
これを突破した国連軍は怒涛の進撃を再開、
10月20日は北朝鮮の首都、ピョンヤンを占領してしまいます。
11月の感謝祭までには、兵士は皆、国に帰れるよ、という
よせばいいのに(笑)死亡フラグのような発言を
マッカーサーがしたのも、この頃です。
そして案の定、帰れないとどころか、1ヵ月後には戦争は再度、泥沼状態に…。
その先の展示では、いきなり鴨緑江に韓国軍が到達してました。
中国と北朝鮮の国境の川ですね。
アメリカ(国連)軍の到達が10月26日なのですが、
この展示の解説によると韓国軍の第6師団も同日到達とされてました。
この展示だけ見てると、激戦の末ついに韓国軍が北朝鮮の北端まで進出!
と思ってしまいますが、先にも書いたように、緒戦で壊滅して以降、
ほとんど戦力になってませんから、韓国のための戦争、という大義名分のため
連れて歩かれた部隊でしょうね。
余談ながら、この間、アメリカ軍の部隊による北朝鮮にあった捕虜収容所の
解放作戦があったのですが、突入してみると、
百人近い捕虜は全員、銃殺されいた、という悲劇もありました。
で、国連軍がここまで来た、
という事は北朝鮮を完全に占領した、という事です。
ただし、北朝鮮政府が立てこもった国境中央部は
未だに抵抗が続いていたのですが、
もはやその陥落は時間の問題と思われていました。
マッカーサーはもちろん、ほとんどの国連軍関係者は
これで戦争が終わった、と思ったのですが…。
その後、1月近くの膠着状態を迎えるのですが、
最後に、これでトドメだ!とマッカーサーによる攻撃命令が出たのが11月24日。
ところが、その攻勢開始直後、25日から瀕死のはずの
北朝鮮陣地から猛烈な反撃がスタートします。
国境まで国連軍が押し寄せて来たことに脅威を感じた
中国軍が、ついに本格参戦して来たのでした。
これがいわゆる中国の衝撃(chinese
surprise)です。
どうも、この1ヶ月の停滞は、中国軍の参戦準備のため、
北朝鮮軍が引き伸ばしを計ったと考えるべきかもしれません。
ちなみに、マッカーサーの居た極東司令部では
この時、戦勝パレードの準備までしていた、という話があります。
で、この反撃にあわてたアメリカ軍は航空偵察によって敵兵を数える、
というあまり前例のない作戦を行っています。
この時、出てきた数字は、中国共産党兵の援軍は、
1万5千人から7千人だろう、という数字でした。
国境付近までどれだけのアメリカ(国連)軍が
進出していたのかはっきりしないのですが、
この人数に、極東司令部はかなりの衝撃を受けたようです。
ところが、実はこの見積もりは極めて甘く、
実際に国境を越えてきた中国共産党軍は実にその10倍を軽く超える、
25万人にものぼっていました。
これは当時、朝鮮半島に展開していたアメリカ陸軍&海兵隊に
ほぼ匹敵する人数だったはずです。
そして前線に限ってみれば数倍以上の開きがある戦力でした。
この結果、アメリカ(国連)軍側の前線はあっさり崩壊します。
さらに季節は冬。
猛烈な寒気によって、スターリングランドのドイツ軍のような状況に
アメリカ(国連)軍は追い込まれつつあったのでした。
…という感じで、まずは、そんな中国軍の展示ですが…
楽しそうですね(笑)。
左端のお兄さん、手榴弾で遊んじゃダメとお母さんに教わらなかったんでしょうか。
右端のお兄さん、トリガーに指かけて銃もって踊るのはやめなさい。
そして真ん中の二人は武器すら持ってませんが…。
音楽系政治将校?
展示の解説によると中国共産党軍の冬季制服であり、
彼らは銃が不足してたんで、手榴弾で肉弾戦を行ったり、
銅鑼や笛で鼓舞してたんだよ、との事。
いや、銅鑼はわかりますが、銃声や爆発音の中で、
そのリコーダー笛は無力ではないかと…
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