■こんなんで戦ってました
さて、こっちは韓国軍が使用した火器類とされるもの。
ちなみにこの博物館の展示は当然、朝鮮戦争における韓国軍が中心なんですが、
正直、韓国軍は何やってたのかはほとんどわからない、という存在です(笑)。
当時のアメリカ兵のコメントはこの博物館には展示できないよなあ、
という状況でして、そこら辺りの脳内補正をかけながら、見学する必要があります。
とりあえず、展示の説明に戻りましょう。
よく見ると左上に浮いてる拳銃が
おなじみのM1911A、いわゆるコルト ガバメント。
これは1980年代までアメリカ軍の正式拳銃だったはずですが、
その名の通り、デビューは1911年3月29日、日本じゃ明治44年ですから、
明治のデザインとして考えるとスゴイですよね、これ。
余談ながら、M1911Aがアメリカ軍に正式採用される約1ヶ月前に
あのレーガン大統領が生まれてたりします。
その右のちょっと銃身が短いのがM-1“カービン”銃。
その下の銃剣がついてるのは、さっきも登場したM-1“ライフル”銃。
アメリカ陸軍らしい、似たような名前で判りにくいのがまたも登場ですが、
M-1銃にはカービンとライフルの2種類があります。
ついでに、最初のバズーカ砲もM-1でした。
…混乱しないんでしょうかね、これ。
その下のはブローニングの自動小銃、BAR M1918A2。
これもその名の通り、第一次世界大戦期に設計されたものですから、
銃器の基本的な進化は20世紀の前半で
ある程度まで完成してしまっていた、と言えるかもしれません。
で、一番下が対戦車2.36インチロケットランチャー、いわゆるバズーカ砲です。
なんだか妙に細い印象を受けますが、第二次大戦中は
この2.36インチ型が最後まで主力でした。
グリップ部分が失われてますが、恐らく1944年から配備になったM9でしょう。
ただし、これではT-34/85の正面装甲を打ち抜くことができず、
韓国軍も初期に送り込まれたアメリカ軍も、
完全なパニックに追い込まれる事になるのです。
こちらは北朝鮮側の銃器たち。
こちらも左上に拳銃が飛んでますが、これがトカレフ TT33。
ただし、これも中国製のコピーの可能性アリ。
ついでながら、日本のヤクザ屋さんが愛用するトカレフと同じ拳銃だそうな。
その右の銃剣のついたのがSKS
45 カービン銃。
その名の通り、終戦前後からソ連で配備が始まったカービン銃らしいですが
すみません、さっぱり知りません(笑)。
ちなみにこれに至っては、北朝鮮が正規のライセンス生産してたらしいので、
もはやどこで作られたものなのか、全く見当がつきませぬ。
その下のギャング映画に出てきそうなドラム弾倉をつけたのが
PPsh-41サブマシンガン。
ソ連を代表するサブマシンガンですが、これも北朝鮮で造ってたらしいです。
で、その下の筒状のものが、ソ連のバズーカ砲といえる、対戦車砲のRPG-2。
ただしソ連のRPG-2は、ヤシの実型の砲弾を先端にはめて打ち出すタイプで
展示のものはその肝心の砲弾が無い状態です。
ついでに、1949年になってようやく配備が始まっており、
朝鮮戦争でデビューとなったものでした。
その下の小銃は、先にも出てきたモシン・ナガンM1891/30ですね。
で、最後、車輪付きで一番下にあるのがマキシムのPM
M1910機関銃。
これはイギリスのマキシムが第一次大戦前に発明した機関銃を
ロシア式に改良したものですが、第一次大戦期はもちろん、
革命でソ連になった後、さらには一部が第二次大戦でも使われてました。
が、さすがにこれが朝鮮戦争でも使われていたとは思いませんでした(笑)。
比較的寿命の長い銃器類とはいえ、戦車誕生前の機関銃が
1950年代の戦場に持ち込まれてましたか…。
その先ではスクリーンにT-34戦車の映像が流れており…
上映が終わると、スクリーン後ろに置かれたT-34/85が浮き上がる演出。
これは模型ですかね。
とりあえず、何をやっても通用しない戦車との戦い、
という1942年に多くのドイツ兵が経験した恐怖が、
1950年の夏、この朝鮮半島で再現されることになるのです。
ちなみに、アメリカ兵にもそういった経験はほとんどありませんでした。
新兵が多かった、というのもありますが、
ドイツの戦車は全部集めてもT-34やM-4シャーマン単独の全生産数より少ない、
という状況でして、大戦中は戦車との戦闘自体が極めて貴重な体験だったようです。
戦争で非難する住民の皆さんの展示。
逃げる、というのはとても重要で、間違っても家に残ってたりすると、
120%の確率でエライ目にあいます。
今でもほとんどタブーとされていてまともな情報がありませんが、
北朝鮮&中国と韓国&アメリカで何度も占領地域が入れ替わった結果、
その度に両者における住民に対するさまざまな残虐行為があったようです。
さらに、両者ともに撤退時には住民を装った工作員を残して行ったため、
そのスパイ狩りによって恐らく無関係と思われる民間人までが、
広く殺害される結果を生みます。
ここら辺りはフランス革命やスペイン内戦の例を見るとわかりやすいのですが、
同じ民族どうしの戦争となると、残虐行為がエスカレートしやすい傾向があるようです。
ちなみに、朝鮮戦争終了後、1990年代に入るまで、
対北朝鮮のために韓国の軍事政権が送り込んだ活動員の死者は
一説には7000人を超えるとされますから、
分断国家ゆえの狂気と悲劇なのかもしれません。
ただし、私も当時の人の目撃談や体験談をいくつか読んだだけで、
韓国政府による具体的な記録や、公式な資料は未だに見た事がないけども。
その先に、当時の韓国軍のものらしい装備類が。
左は105mm曲射砲、右奥のは3インチ対空砲との事。
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