■いろんなもので戦争だ



で、そんな感じで北朝鮮さんが攻め込んできたとき、
先にも書いたように、韓国軍にはまともな装備がありませんでした。

なのでL-5センチネル観測機を使って上からいやがらせレベルの
爆撃をやってたのよ…という展示。
妙に主翼が凝った造りですが、機体はレプリカ。



MA16 A1ハーフトラック。
ハーフトラックとは後輪のみがキャタピラで、悪路の走行性が
通常のトラックより高いもの。
ちなみに意外にその歴史は古く、蒸気自動車時代から存在してます。

で、MA16って何だ?どうみてもM3やんけ、と思ったんですが、
どうもM3の後部座席をとっぱらって、
代わりに銃座を搭載したのがMA16というタイプらしい。
ただし現状、銃座は行方不明のようで、本人がMA16だって言う以上、
MA16なんだろうなあ、という状況です(笑)。

で、ハングルの説明しかなかったので断言はできませんが、
どうも開戦時、韓国軍が保有していた唯一の装甲車両がこれらしいです。
まあ、相手がT-34/85じゃ、どうしようもないですね、はい。



同じく韓国軍の装備。
上が例の力不足のM9バズーカ砲、下はこれもさっき紹介したBAR M1918A2機関銃。

おおよそこういった辺りが初期の韓国軍の装備だったようです。
これでT-34/85に立ち向かおうってのはさすがに無理がありますね。



で、そんな現状を救うべく、アメリカ本国から急遽運ばれたのがこれ。
左側の筒状の兵器、3.5インチ対戦車ロケットランチャー、M-20です。
いわゆるスーパーバズーカで、大きく開いたラッパ状の発射口、
そして太い筒の胴体という、
一般にバズーカと聞いて連想するスタイルがここから登場です。
下で横倒しになってるのはそのロケット弾。

確認できる範囲では開戦から3週間近く経った7月12日から前線の部隊に到着し始め、
7月末に国連軍として反撃体制が整うまでには、ほぼ全部隊に行き渡っています。
ただし韓国軍の部隊にも渡された、というのは私は聞いたことがないんですが、
ここに展示してあるってことは、もらったんでしょうかね。

ただし、当時のフィルムを見ると対戦車線だけではなく、山岳戦で敵陣地に
何か撃ち込んでますから、どうも対戦車砲以外の
対陣地、対人用のロケット弾もあったのかも知れません。

ちなみに右側のデカイのは75mm無反動砲。
普通の大砲と後部の形状がまるで違いますが、
ここから発射時のガスを逃がして、反動を打ち消します。
ただし砲弾にかかる力、銃口内で高まるガス圧を
抜いてしまうのですから、当然、その発射速度は弱まります。

が、対戦車兵器の場合、高速で強力な弾で装甲をぶち抜く、と言うだけでなく、
火薬の高熱反応を使って装甲を溶かしてしまう、というのがありました。
後者の場合は、むしろゆっくりと敵の装甲に弾をぶつける必要があり、
バズーカや、こういった無反動砲が使われたわけです。

ちなみにこの75mm砲は開戦当初に派遣された
アメリカ軍部隊が装備していたものの、
T34/85には全く歯が立たなかったとの証言が残ってます。

ここの展示でスーパーバズーカと並んで置かれてる、
という事は韓国軍は7月に入ってからようやく支給された、という事でしょうかね。



その先からは、時系列にそった展示になって行きます。
まず最初はいきなり北朝鮮が攻めて来たぜ、大変だぜ、という所から。

暗くてよく見えませんが、奥がスクリーンで、手前には韓国兵のマネキンの
皆さんが陣地に立てこもってます。
最初のソウル奪回戦のジオラマのようですね。

6月25日に南下を開始した北朝鮮のT-34/85軍団になす術ががなかった韓国軍は、
当時はまだ完全に郊外で、橋も数本しかなかった
ソウルの漢江南岸に陣地を築いて防衛ラインとしました。
ここで北朝鮮がこれを渡河して南下するのを防ぐ作戦にでます。

おそらく、韓国軍が唯一まともな戦果を上げたのがこの戦闘で
一時的とはいえ、その足止めに成功したとされます。
が、結局、装備で圧倒的にまさる北朝鮮軍に押され、ここから怒涛の敗走がスタート、
2週間かけ、ほとんど走り続けるようにして、
プサンの防衛ラインまで押し込まれる事に。

途中でアメリカ軍の最初の援軍も来るのですが、
これもほとんど役に立たず、あっという間に蹂躙されてしまうのです。
まあ、最初に来たアメリカの救援部隊は、当時の日本にいた占領部隊であって、
まともな重火器、対戦車兵器を全く持ってませんでしたから、
当然といえば当然の結果でした。


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