■そして終焉へ



その先にあった元祖連発兵器、ガトリング銃。
手動でグルグル回して撃つ連射銃ですが、原理そのものは、
後の機械式20mm連射砲であるバルカン砲と同じです。

大韓帝国軍で使っていたとはちょっと意外。



6.5mm 30式小銃とのみ書かれていた銃。
普通に考えると日本の有坂銃だと思うんですが、私には見分けが付きません。
大韓帝国でも使ってたんでしょうか。



ここら辺りからは日本に併合された後の、独立闘争の話になって行きます。

が、実は朝鮮半島における独立闘争の本場は半島北側、
つまり現在の韓国とはほぼ無縁のエリアでして、その結果、展示は微妙なものに…。

余談。
この北部での独立闘争を、1930年の間島の暴動から
一貫して指導者として戦ったのがあの金日成(キム・イルソン)さんです。
この闘争の後、北朝鮮の初代ボスになったのがこの人…
というのは96%以上の確率でウソでしょう(笑)。

オリジナル金日成の活動は、記録でたどれる限り、1940年前後を境に途絶えており、
常識的に考えるなら、この段階で死亡した、と見るべきです。
そして突然、と言う感じで1945年の8月、ソ連軍がピョンヤンにつれてきた
“自称”金日成はどう見ても20代の若造で、
とても対日闘争暦10年を超えるツワモノには見えませんでした。

で、この男の名は金成柱(キム・ソンジュ)。
大戦中にソ連に亡命した、スターリンの息がかかった活動家で、
朝鮮半島で共産党を結成させるため、ソ連軍がつれて来た男でした。
恐らく、そんな若造にいきなり共産党を結成させても誰も参加しないでしょうから、
ハクを着けるためにソ連がでっち上げたニセの経歴が、
彼こそが、あの金日成なんだぜ、というものだったのではないかと思います。

少なくとも、この男が対日抗争で有名な金日成本人である、という証拠は
私の知る限りでは存在しません。
逆に、当時の朝鮮中央通信社の記者、
後に金日成の伝記を書くことになる韓載徳(ハン・ジエトク)は
「彼を見てびっくりした人は少なくなかったでしょう。
白髪の老将軍が現れると思っていたら、三十代の青年が登場したんです」と証言しており
(自称33歳だった。が、写真を見ると苦労知らずの20代の坊ちゃんにしか見えない)
遠まわしな表現ながら、別人であろう、という事をほのめかしています。



そこに単にピストル、という投げやりな解説で展示されていたもの。
普通に見ると、例のモーゼルC96のようですが、
全体的になんか造りが安っぽいので、コピー製品かもしれません。

ちなみに左右の銃、明らかに大きさが異なりますが、1921年前後に
C.96は銃身の長さの短縮など、大幅なモデルチェンジをやってるので、
左が旧型、右が新型(いわゆるBolo Mauser)ではないかと。



あ、最初のホールに戻って来ました。
どうやら、これで1階は1周したみたいですね。



さて、では上の階の展示へ…というところで、
今回の本編はここまでとしましょう。


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