■大韓帝国登場



こっちはちょっと派手なので、少しエライ人のですかね。

右の笑撃兵器、盾は木製で、さらに上の地獄帰りのライオンさんみたいのは
麦わらのような材質でしたから、基本的には装飾用でしょうか。

ちなみに、ここら辺りは見てわかると思いますが、全て現代の複製品です。
ホントにこうだったの?と聞かれれば、多分ね、としか答えようがありませぬ。
繰り返しになりますが、李氏朝鮮時代の軍事ってのは、
ほとんど資料がないのです。



当時の官庁関係者のスーツ姿。
なんでこれが戦争記念館にあるのかはわかりません…。




分身の術?と思ったら、当時の階級ごと衣装の違いの説明。
…すみません、全部同じにしか見えません…。

これも戦争は関係ないような気がしますが、まあ、サービス展示でしょうか。



虎のヒゲ、とだけ説明があった謎のシロモノ。

夜中に相手の背後から近寄って、これでくすぐってしまえ、とかいう兵器でしょうか。



さて、その先には大韓帝国から日本帝国の支配期、という案内が。
大韓帝国ってなんだ、と思ったら、李氏朝鮮は1897年から滅亡の1910年まで、
最後の13年間は国号を大韓帝国にしてたんですね。
うかつにも知りませんでした。
ただしホントに名前を変えただけ、という感じで例の奴隷制度すらそのままです。

ちなみに1897年の段階ではまだ、宗主国、中国の清帝国は健在ですから、
本来なら属国のような立場である朝鮮は格下の
“王国”を名乗らなければいけません。

が、清が1895年に日清戦争で完敗した結果、李氏朝鮮は
それまでやっていた北京への朝貢などが廃止になります。
これは日本が清の影響力を朝鮮半島から取り除こうとした結果で、
清が朝鮮半島に手を出すことを禁じるものでした。
つまり、これからはこのシマは日本が仕切るぜよ、という話ですね。

ところが、当時の李氏朝鮮の王様は単純に大喜びしてしまい、
こりゃもう気配りは無用ジャン、という事になり、
国名を中国と同格の“帝国”にしちゃったようです(笑)。
ちょっと信じられませんがホントにそれだけの理由で、国名を変えており、
朝鮮半島に帝国が登場したのは、この13年間が最初で最後のはず。

なんというかジャイアン無き里の のび太、
という感じのステキな礼節の国であり、
ここら辺りが孔子の儒教と言う思想の安っぽい限界でしょう。
本来なら、どんな状況であれ、君子の国である以上、
宗主国には礼節をつくさないといけないはずですが…。

さらに余談ですが、ソウルにある独立門(今回は訪問してない)は
日本から独立した1945年に建てられたものではなく、
この清と同格の“帝国”になった事を大喜びで記念して建てたものだそうな。

いや、キライじゃないですけどね、こういった軽いノリ(笑)。


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