■これが李氏朝鮮なりけりかも



ちょっと大型の大砲とか。
例によって説明は朝鮮時代、だけですが、台車などからすると
19世紀以降のものじゃないでしょうかね。



安いゴルフの優勝カップかソフトクリームのカップに見えるこれは
大砲口(テワング)と呼ばれる投擲器です。
基本的には例の臼砲と同じで、写真のような石の玉や
例の“てつはう”を打ち出すのに使ってました。
カップの底部分に火薬を入れ、口の部分に玉を詰めて撃ち出すわけです。

この手の兵器も不思議と日本では普及しませんでしたね。



朝鮮時代の後期、1794年に建てられた水原という場所にある華城の模型。
…って、あれ?前回紹介した三国期の城の模型も水原の華城でしたが…。
建てなおしたのか、そもそもこの博物館の全てが適当なのか、よくわからず。

ちなみに、西洋式の築城法を採用、と説明にはありましたが、
どうみても中国式城郭にしか見えませぬ…。

余談ながら手前の城門の前に見えるような壁で囲まれた半円形の空間を造るのが
当時の朝鮮式築城の特徴の一つです。
ソウルの東大門にはこの構造が今でも残ってます。
敵を少数ずつここに招きいれ、上からボコボコにしてしまえ、という構造でしょうか。



で、当時の武将のみなさんの仕事着とか。

秀吉プロデュース軍との戦闘では甲冑なしでエライ目にあったそうですから、
それ以降はこういった防御服が普及したんでしょうか。



その盾。
恐らく相手が笑ってる間にタコ殴りにしてしまえ、という恐怖の心理兵器でしょう。
こんだけ派手にペイントされてますが、金属製のようです。

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