■まずは古代から
そこを抜けると、左右に展示物のある廊下に。
基本的には紀元前から三韓時代に至る古代朝鮮半島の遺物展示でした。
ここら辺りは石器時代の展示でしょうかね。
基本的にこの博物館の展示説明は、日本で言ったら江戸時代、室町時代のもの、
といった感じのえらく大雑把な説明ばかりで、判りにくいです。
せめて何世紀のもの、くらいは表記して欲しかった。
特に韓国の場合、各王朝の寿命が日本や中国に比べて異常に長いですしね。
例えば朝鮮王朝時代の火縄銃、とか言われても、
日本だと室町時代から明治時代が該当してしまいますから、
それしか情報がないと、他国の同時代との比較は、ほとんど不可能です。
その先にあったホール。ここが
例の慰霊室の下で、さらにこの上が建物の上のドームになってるようです。
そこにあった特撮セット的なジオラマ。
手前の模型は大きく、奥の模型は小さく、さらに奥の部分は絵になってます。
これは例の朝鮮半島にあった国家では恐らく最強を誇った
高句麗(紀元前40年頃〜668年)の戦闘を再現したものだとか。
612年、当時の中国の王朝、隋からやって来た大軍を、
例のソウルの大通りの名前にもなってる乙士(エウジ/Euji)将軍が撃退した
薩水(サラス/Salus)という場所での戦いだそうな。
ただしこの戦い、先にも書いたように、だまし討ちでの圧勝ですから、
果たしてこんな自慢げに展示していいものかどうか…。
余談ながら、南北朝時代を経て、久しぶりに中国に登場した本格的な王朝であり、
日本から朝献していた事で知名度の高い隋ですが、
実はこれ、建国からわずか37年というスピード崩壊をした王朝だったりします。
原因はいろいろあるんですが、この高句麗遠征の失敗も
その大きな原因の一つだった、とされるようです。
(このジオラマの戦い以外にも、少なくとも他に2回、本格的な遠征をやってる)
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