■高台には教会が
せっかくなので近くまで行ってみる。
明洞大聖堂、との表記があり、建物内も見学できるような説明がありましたが、
私が訪れたときはミサの真っ最中で中には入れず。
李氏朝鮮時代終盤、日本だと明治の頃の1898年に完成した、
カソリック系の教会だとか。
で、現地での解説を見ていたら、地下には殉教者を安置している、
との事なので、李氏朝鮮時代は、キリスト教(カソリック)迫害があったようです。
ちなみに、世界中に自分から出て行って布教しまくって、
隙があったら現地を支配しちゃおう!というのが
カソリックで(ゆえに日本では警戒された)、韓国でもこっちがメインだと思ってました。
が、帰国後調べて見たら、朝鮮戦争時に、アメリカ兵のために
プロテスタント系の教会や病院がかなり建設されたため、
戦後に関してはカソリックとプロテスタントはほぼ同じくらいの信者数らしいです。
さらに余談ながら、明洞大聖堂ってどっかで聞いたな、と思ったら、
これ1980年代から90年代にかけての、韓国の反軍事政権、
民主化運動でしょっちゅう集会が開かれた場所ですね。
こんな場所にあったとは…というのと、こんな狭い敷地でやってたとなると、
それほど人数集まらなかったのかなあ、とかも思ったり。
そこからまた裏通りを抜けて、地下鉄の駅を目指します。
明洞の北東側の外れにある、乙支路三街駅へ。
乙支路というのはソウルを東西に走るメインストリートの一つですが、
これは高句麗の軍人、乙支文徳から取った名前です。
高句麗と言うのは、朝鮮というよりはやや北方の満州系の連中が作った国ですから、
(厳密に言えば、百済、新羅も北方の騎馬民族の流れを汲むし日本もそうだが)
朝鮮史上例外中の例外ってなくらいに戦争に強く、
隋、唐両帝国の襲撃を何度も撃退しています。
ただし、乙支さんの場合、だまし討ちで圧勝(ニセの講和を申し出て不意討ち)
という人なので、果たして軍人として誉めていいのかどうか…。
ソウル中心部の大通りは、そういった歴史上の有名人から取られたものが多く、
日本で言ったら東京に織田通りとか豊臣通りとかがある感じでしょうか。
小さな駅なんですが、そこにも地下街があり。
ここら辺り、ソウルってたいしたものだなあ、と思ったり。
いろんな意味でビミョーな感じのマネキンたち…。
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