■レツゴー小諸 2012

さて、夕撃旅団の旅行記においては何度目の登場か、
という感じの長野県小諸市。

当家墓所所在地兼一族郎党発生の地なので、
最低でも2年に一度は訪れており、このためついおざなりで、
今まで地図で場所の説明をしたことが無かったことに気が付きました。
なので、今回、急遽作ってみましたよ(笑)。




ついでに今回は横川にある碓氷峠鉄道文化むらにも
寄ってきたのでその場所も入れておきました。

小諸は、活火山で有名な浅間山の南に位置し、
高級別荘で知られながら駅周辺は変に貧乏臭い
軽井沢の西側に位置しています。

横川は、軽井沢と碓氷峠を挟んで向かい合う駅で、
街と言うほどのものではなく、
純粋にかつての峠越えの拠点の駅と思ってください。

さて、今回の旅行記を理解するには中山道(なかせんどう)という
街道を知る必要があります。
最初に、江戸から京都に抜ける、という事を考えましょう。

京都の東の玄関口は三条大橋、東京の西への出発地点は日本橋。
こう書くと、ああ、東海道五十三次、と思ってしまいますが、
全く同じ出発点と到達点の街道が、もう一つありました。

それが北周りで山の中を突き進んで行く中山道(なかせんどう)です。
有名な東海道はナウなヤングにバカ受け、という感じで、
南の太平洋沿岸の有名都市を次々に突破してゆくのに対し、
ひたすら山の中を突き進む中山道は裏街道、という印象があります。

その上、東海道は明治以降、最後の部分が北回りに変更され、
鈴鹿峠ではなく関が原を通過するようになったものの、
(関が原〜京都間は元々、中山道のルートだった)
基本的にほぼそのまま鉄道や国道などのルートに生かされています。

対して中山道都は、現在でも国道や鉄道が存在するものの、
明治以降、完全にぶつ切り状態で、
特に軽井沢〜妻籠間は鉄道が通っておらず、その跡をたどる事すら、
一苦労、という状況だったりします。



在、旧東海道にあたる国道15号と1号の始発点となっている東京の日本橋。
で、残りもう一つの国道、ここから北上する国道17号が旧中山道なんですが、
この道路、あろうことか(笑)群馬圏内を左折せず、そのまま北上、
新潟県に出てしまいます。

そして、その先の中山道(なかせんどう)にあたる高崎から分岐する国道18号も、
あろうことか(笑)軽井沢の西、追分から北上してしまい。
小諸、上田、長野経由で上越市に向ってしまうのです。

以後、ぶつ切り状態にされながら、中山道は細々と京都(関が原)に向うのです。

友よ、中山道は死んだのだ…。



実際問題として、箱根と鈴鹿峠をなんとかしちゃえば
比較的平穏無事な行程が続く海沿の東海道に対し、
北の山道、中山道は難所に次ぐ難所、オレは旅行をしてるのか、
山登りをしてるのかどっちだ、という世界が続きます。
ついでに、東京より南に位置する京都に向うのに、
わざわざ江戸から軽井沢まで
大北上する必要あり、というムダの多いルートでした。

が、それでも平安の昔から江戸時代に至るまで、
ずっと使われ続けたのは、それなりの理由があったからです。

この街道、実は大河がないのでした。

東海道には富士川、天竜川といった幅の広い川があります。
これらの川には橋がないので、渡るには船などを使う必要があり、
天候が悪化すると完全に足止めされてしまう可能性がでてきます。
また、人が多いと渡し船の空席待ちで、
足止めされてしまう、というケースもあったようです。

対して中山道は山道だらけですが、
本人にガッツとやる気があればノンストップで走破可能でした。
なにせ徒歩ですから、多少のガケ崩れくらいなら
突破してしまえます。

そんな中山道を江戸から北上して行き、最初にぶち当たる難所、
それが今回登場の横川から軽井沢に至るまでの碓氷峠なのです。

ただし、峠と言っても実際は関東平野の外れから、
甲信越の高地地帯に入る玄関口、という感じになります。
なので横川から軽井沢方向に一方的に登って行くだけで、
軽井沢側の高地に出た後、下りはありません。

これが同じ関東平野の脱出路、海沿いの箱根との違いで、
箱根が平地から平地へ出るための山越え、というものなのに対し、
碓氷峠は高原と平地の玄関口、という場所になります。

でもって、明治の鉄道敷設ラッシュの時、
この峠を突破して長野方面に鉄道を通そうぜ、
と考えた事から、全ては始まります。

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