■さらば鉄道文化



建物の中には休息所もあったのですが、そこに置かれていた謎のパネル。
何かの教育用でしょうかね。



さて、そろそろバスの時間ですから、駅に戻らなければ。
出口に向って行くと、目の前を走っていったあぷと君。
うーん、やっぱり乗ってみたかったなあ…。



という感じで、鉄道文化むらともお別れです。
この入り口にあるローマ水道のような構造物は
例のあぷと君の線路で、この上を彼は走り去って行きます。

いやはや、失礼ながら、全く持って意外なまでにすばらしい施設でした
大宮の鉄道博物館は二度と行かないな、と思った私でも、
ここはもう1回くらい来て見たいものじゃ、と思わせるものがありました。



さて、ここからはJRバスで碓氷峠を越えて軽井沢に向います。

ちなみに今さらですが、碓氷峠の読みは、うすいとうげ、です。
日本書紀(景行紀)ではヤマトタケルが
東征の帰り道に碓氷峠の旧称、碓日嶺(うすひのみね)を通過したされます。
うすひ、は現代発音ならうすい、ですから、
理由は不明ながら、日の字が後に氷に転じたんでしょう。

余談ですが、神奈川県にある東海道の古道とされる箱根付近の峠にも
同名の碓氷峠があり、うすひ、というのが、
何か東国、大和や京からみたいわゆる
アズマ(東、吾妻)を意味する語なのかもしれません。

ついでに日本書紀では碓氷峠を越えて帰ったとされるヤマトタケルですが、
古事記では足利峠を超えて、南の海沿い、
後の東海道ルートで帰ったとされています。

このため、日本書紀の碓氷峠(碓日嶺)も
実はこの中山道ルートのものではなく、
箱根の側の碓氷峠ではないか、とする説もありにけり。



この後は、ひたすら山道を登って行くことに。


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