■大人の対応
さて、ようやく空いたぜ!
このイスは明らかに後付ですが、他はほぼオリジナルのよう。
さっそく座ってみるか!
…と、向こうの席に移ろうとした瞬間、左側の階段から、
6歳くらいの男の子が登ってくるのが見える。
しかも、その子は、私が下に降りると思ったらしく、どうぞ、
と言って階段を引き返して降りてしまったのだ!
…ここで、ヤダヤダ、まだ運転席に座ってないんだい!
とダダをこねたらどうなるだろう、という考えが一瞬、頭を過ぎるも、
さすがにまだそれは超えてはならぬ一線であろう、と判断、
うむ、坊や、どうもありがとう、と座らずに下に降りてしまったのでした…。
フフフ、大人じゃん、オレ(涙)…。
さて、その先にはなんとなくメインの展示の一つっぽい、
かつての整備工場を利用した展示棟がありました。
ちなみに上の看板にあるポッポタウンがこの施設の英語表記です。
英語はさっぱりなんですが、おそらくPO
が碓氷、PPOが峠、
Town が鉄道文化むら、の意味の英語ではないでしょうか。
さて、その整備工場内の展示を見て行きましょう。
旧国鉄が峠越えに特化した車両として開発したEF-63。
かつての碓氷峠の顔で、この機関車のミラクルパワーで、
全ての列車は碓氷峠を乗り越えたのでした。
ただし、この車両は特にハイパワーというわけでもなく、
足回りを別にすれば同系機と言っていい通常型の電気機関車、EF-62と
ほとんど同じような構造を持ちます。
なので、おそらくブレーキの強化、峠でのスリップを防ぐための足回りの強化が、
この車両の特徴なのでしょうかね。
が、その強化の代償は高く付き、総重量は108tと通常の電気機関車の10%増し、
さらに最終的な調達価格も1975年前後で1両あたり1億5900万円と、
これまた当時の電気機関車の倍近い価格になりました。
ただし、この車両、25両しか造られてないのに、
生産期間が1962年〜1975年と異常に長く(ただし62年は試作型のみ)
特に最後の4両は5年以上、製造されてなかった後に
追加生産、という形で造られています。
(69年の後、74年と75年に2両ずつ。ただし最終的な完成は76年までかかった可能性あり)
なので、一度閉じた生産ラインを何らかの理由で無理やり再開したため、
この4両だけがベラボーに高価だった可能性があります。
ちなみに、私は鉄道には全くのシロウトですが、こういった製造工程や
価格システムまで踏み込んでる鉄道マニアの方ってどのくらい居るんでしょう(笑)。
その横に展示されていたのがこれ。
おそらく全てレプリカだと思うのですが、
鉄道に関しては完全な門外漢ですからあくまで、わかる範囲で見て行きます。
画面奥から、まずはジャイアントパンダII型。
碓氷峠の笹刈りで活躍するも、後に信長に追われて笹子峠から落ち延びてきた
武田勝頼と意気投合、共に大陸に渡りチンギス・ハンとなる。
中央がホルスタインD型。
ジャイアントパンダII型の後継機として、単にシロクロのブチが一緒、
という理由で採用されるも、後、美ヶ原高原牧場に政治亡命。
一番手前がスーパー仙人犬、ワンダフルMk.IV(マーク フォー)。
詳細不明のまま採用されるも、
すぐに行方不明となったため、すべてが不明の逸品。
で、ここの展示で感動したのが、これ。
正直言ってなんだかよくわからないし、解説も無いので詳細不明なんですが、
当時、整備工場で使われていたと思われる機材関係を残して展示してます。
決して、見学者受けするものではありませんが、
こういう展示は個人的には大好きです。
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