■スーパーマリン スピットファイア MK.I
Supermarine Spitfire Mk.I


第二次大戦期のイギリスの主力戦闘機にして、救国の戦闘機。
この機体が無ければ、1940年の5月のダンケルクの撤退から
バトル オブ ブリテンまでの展開はどうなってたか、という機体でございます。

“サー”シドニー・カムを始めとするちょっとアレな皆さんが、
スカタンな戦闘機を連発してた当時のイギリスにおける、まさに奇跡といった存在です。
その誕生と引き換えに、設計者のミッチェルはこの世を去ることになるのですが。

スピットファイア、直訳すると火を吐け、に関してはこちらに散々まとめたので、そっちを見てもらうとして、
今回はロンドンの帝国戦争博物館(IWM)で展示されてる
最初の量産型、Mk. I (マーク ワン)の写真を見て行きます。

ちなみに帝国戦争博物館ロンドンは2014年に大改修が行われ、ここにあった機体の多くが
ダックスフォードの別館に持っていかれてしまったんですが、
このスピットファイア Mk.I だけはまだ残ってるようです。
今回の記事の写真は2011年の撮影で、このころの展示ではあらゆる角度から、
世界でも最高に近い状態で保存されてるこの機体を撮影可能だったのでした。
よって、今回は写真の数で勝負、という内容になって行きます。

余談ながら、帝国戦争博物館(IWM)は、所有する兵器に関し、
イギリスの著作権法(Designs and Patents Act 1988)に
基づいて著作権の保有を宣言しており、商業用書籍などで取り扱ったり、
商業放送で使う場合、博物館に相談せよ、としてます。
私の英語力ではDesigns and Patents Act 1988の内容がどうも判然としないのですが、
商用(commercial projects and products)以外は対象外だと見られるので、
まあ、大丈夫だろう、今回の記事を掲載させてもらいます。
逆に言えば、金さえ払えば、好きなだけ見せてくれ、というのも可能?
ついでにプラモデルのデカールとかはどうなんでしょうね、これ。



この機体は、オリジナルのコンディションどころか、
塗装まで第二次大戦期のまま、とされるスゴイ機体です。
(1940年のバトル オブ ブリテン 参戦機と解説されてるが、塗装は1945年当時のもの。
さらに所属部隊を示すラウンデル(国籍章)まわりの文字が無い。それでも貴重だが)

スピットファイアMk.Iの場合、塗装も機体も大戦時の状態のまま、
とされる機体がもう一機、アメリカのシカゴ産業科学館にもあり、
なんとも状態のいい現存機に恵まれた機体となってます。
(こちらも撮影したが、暗い環境で古いカメラだったため、画質が悪く今回は掲載せず)

その代わり、後期の主力であるMk.IX(マーク9)とMk.XVI(マーク16)のまともな現存機がほとんどない、
という変な状況になってたりするのですが…。
(両者は実質的に同じ機体。エンジンがイギリス製(9)かアメリカ製(16)かの違い)

現存する大戦機の特徴として、残ってるのは戦争後期のものばかり、というのがあります。
Me262なんて最後の1年に1400機(実際は1000機前後だろう)しか作られてないのに8機も残ってますし、
日本の紫電改なんて最後の半年くらいに400機前後が作られただけなのに3機も現存機があります。

対して戦争前半から使われた機体でありながら、Me110やホーカータイフーンなんて1機しか現存してませんし、
ドイツのJu-87スツーカも、わずかに2機のみです。
さらに掃いて捨てるほど造られたソ連のIl-2シュトルモビクなんて、実は現存機がありません。
日本の二式戦 鍾馗なんかも現存機ゼロとなってます(胴体の一部が中国にあるが)。

この点、イギリスの場合は、どうやらこの戦争は我々の勝ちだな、となって来た、
1944年、ノルマンディー上陸作戦後あたりから歴史的な機体の保存の選定を始めており、
このため、初期のスピットファイア、そしてハリケーンともに状態のいい現存機が複数あります。
(ロンドンの科学博物館の機体とか)
対して、アメリカは同じ戦勝国ながら、終戦と同時にどんどんスクラップにするか、
民間に売り飛ばしてしまったため、あらゆる機種でまともな現存機に恵まれません。

これはあのP-51でさえそうで、P-51A、B、C、Dで当時の状態で保存されていたのは、
私の知る限りスミソニアンのD型のみ、後はソウルにある戦争記念館のD型くらいです。
ただし、ソウルの機体は残念ながら、野ざらし状態でボロボロですが…。

アメリカは航空博物館だらけ、しかも今でもエアショーなんかで
当時の機体がバンバン飛んでますが、そのほとんどがレプリカに近いもの、
あるいは大筋で作り直してしまったもの(なにせ図面の多くが残ってるのだ)ばかりです。
ある程度の資料性がある、と言っていい機体は、私の知る限りでは、
スミソニアンのP-51DとP-38J、F-80の試作機ルルベルくらいでしょう。

そういった意味でイギリス機は恵まれています(タイフーンを除く(笑)…)

ただし、なぜか軍艦に関しては全く逆で、
海の王国イギリスは大戦時の戦艦、空母、巡洋艦まで
片っ端からスクラップにしてしまったため、まともな現存艦はテムズ川に浮かぶ軽巡HMSベルファストくらいです。
この点、アメリカは艦船天国で、戦艦のアイオワ級は全艦が保存され(1980年代仕様だか)、
さらにそれ以前の戦艦も複数残ってますし、
エセックス級空母、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦まで各種残っているのです。
アメリカが何でこんなに軍艦の保存に熱心なのか、ちょっと不思議なところではありますが。



なにせ自国の兵器が世界最高、と連呼する点においては日本人以上かもしれない(笑)イギリス人、
そこに持ってきてスピットファイアは実際に優れた機体でしたから(笑)
その入れ込み方は半端でなく、おそらくほとんどの生産機の素性をたどる事が可能なくらい、
連中は膨大なデータベースを構築してます。

おかげさまで、この機体、R-6915もイヤンてな位に来歴がはっきりしてます。
まずバトル オブ ブリテンの初期、1940年7月に製造され、7月21日には早くも609飛行隊に配備、
以後、57回にわたって戦闘出撃を行ったそうな。
その途中、バトル オブ ブリテンの後半に入った9月に
二回に渡りHe111爆撃機などの銃撃を食らって損傷を受け、
その後、二ヶ月近く修理に出されてたようです。
さらに1942年の4月に再度修理に出され、その後は主に教育部隊(OTU)で使用されてます。
教育部隊に回されるまでに、最終的に5機の撃墜記録を持つ
(Me109が1機、Me110が3機、He111が1機)とされます。
(パイロットは機体ごとに固定でなかったので、それぞれ異なる)

その後、1943年に入ってからも何度か事故を起こしてまた修復された後、
1944年に保存機とされる事が決まったようで、最終的に終戦後の1946年に
帝国戦争博物館(IWM)に寄贈され、以後、そのままの状態を維持してる、とされてるみたいですね。


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