■ロールス-ロイスという会社


さて、第一次世界大戦の勃発はロールス-ロイスには致命的だった。
仕事がなくなるのだ。誰が高級車などを買うだろうか。
1914年、そこに軍部が手を差し伸べた。
新兵器である航空機のエンジン製造を持ちかけたのである。
これに、ロールス-ロイスは応じた。
当然、彼らには自動車エンジンの製作経験しかなかったから、その形状は星型空冷ではなく、
箱型で水冷のエンジンとなり、以後もそのエンジンはすべて水冷、液冷となってゆく。



空冷星型エンジン。
写真はアメリカのライト社のもの。
シリンダーがむき出しで、直接空気を当てて冷やす。
これに対し、ロールス-ロイスは自動車製造で鍛えた
箱型水冷のエンジンで参入する。

また、その製造にあたり、戦争勃発時にロンドンにあったダイムラーのレーシングカー、
その搭載エンジンについていたSOHCの構造を参考にしたとも言われてるが、確認が取れず。
とりあえず、早くも1915年にはイーグル、ファルコン、ホーク、の各エンジンが完成していた。
すでにこの段階からロールスロイスの航空エンジンは「鳥の名前シリーズ」となっているのだが、
最初の製品にカッコイイ猛禽類の名を全部、いきなり使ってしまったため、後に命名には苦労することになる(笑)。
ついでにイギリスの、航空機にしろエンジンにしろ、型番ではなく「名称」で呼ぶ、
という伝統もここら辺がルーツかと思われる。



ブリストル F2Bファイター。ロールス-ロイスのファルコン(III)エンジンを
得て、第一世界大戦期のイギリスを代表する戦闘機となった。

さて、V型12気筒 水冷のイーグルエンジンは大型な爆撃機に、小型のファルコン、ホークは戦闘機に採用され、
かなりの成功を収めることになる。
で、第一次世界大戦が終わってみれば、イギリスの軍用エンジンの60%はロールスロイスが生産していた。
商業的には大成功だったが、終戦で仕事は事実上消滅、ロールス-ロイスも自動車生産にもどって行く。
が、1920年代の半ばごろから、再び軍用機のエンジンの引き合いが出てきはじめ、
やがてカーチスが、まだ輝いていたカーチスが、落ちぶれるの前のカーチスが、カッコよかったころのカーチスが、
1921年に歴史的名作(意外に知名度ないのだが…)エンジン、D-12を発表する。

ちなみにシュナイダー トロフィーで初めてアメリカが勝った、1923年の時の機体、
カーチスC.R.3(パイロットはリットンハウス(Rittenhouse))に詰まれてたエンジンがD-12。
なぜかアメリカ本国では、とてもパワフルなエンジン、という程度の認識しかなかったが、
実はこれ、まだ荒削りながら、鋳造によってシリンダー類およびそのヘッド部を一体化して作ってしまう、
というキャストブロック(鋳造一体)製法、すなわち現代のエンジンと同じ製法をとった最初の本格的航空エンジンだった。
それまでは、シリンダーをまさに筒として一本づつ作り、これを束ねていたのだから大きな進化だった。
その結果、D-12は1920年代を代表する傑作エンジンの一つとなってゆく。



Before。
エンジン上部のシリンダー(筒の意味)が独立して、一本一本造られてるのがわかりますね。
下の黒い箱がクランクシャフトの入ってるケース。
これ、マイバッハエンジンですんで、本来ならこの写真一枚で記事一本ぐらいかけるんですが、
今回は出血大サービスだ、もってけドロボー。




After。
これもマーリンですが、上の写真のマイバッハとくらべると、
ブロックで、つまり一体化して造られてるのがわかりますね?ね?
どっちが頑丈で、よりパワーアップに耐えれられるか、見た目で見当がつきますね?ね?
こうなると、外見からはどこにシリンダーがあるのか見当もつきません。
各シリンダーは、金属のカタマリの状態から、正円形にくりぬかれて作れられます。

で、D-12の登場に衝撃をうけたイギリスの航空省(Air Ministry)がイギリスのエンジンメーカーに活を入れ、
ありていに言えば、「いいからもう、このアイデアをパクってしまえ」と通達、D-12を各メーカーにサンプルとして渡すのだ(笑)。
それに対するロールス-ロイスの解答が、22リッターV型12気筒、550馬力のケストレル(小型ハヤブサ)だった。
ただし、この設計には病気からフェニックスのとく復帰した「完璧主義の権化」ロイス本人がからんでたらしいので、
そのエンジンはD-12よりはるかに進んだものとなり、後のロールス-ロイスのピストン式航空エンジン、全てのルーツとなった。
この後、新時代のエンジンとして、ホーカー ハートなどの航空機に採用されることになる。

やがてロールス-ロイスは、軍用機の以外の航空エンジンにも手を出し始める。
ロールスが陣頭指揮を取って開発したRエンジンで、シュナイダー・トロフィーに参戦したのだ。
このエンジンは例のケストレルを大型化したバサード(Buzzard)を基に、大幅なチューンナップを加えたものだった。
彼らが参加したのは1929、31年の2回のみだが、その2回で連続優勝を飾り、鮮烈な印象を残した。
ちなみに1913年の第1回シュナイダー トロフィー優勝機に積まれていたグノームエンジンは160馬力。
最後の31年にロールス-ロイスが持ち込んだ「R」エンジンは、
特殊航空燃料とスーパーチャージャーの使用で、2300馬力を絞り出していたというから、約14倍のパワー差である。
この時代の技術開発の速度がうかがい知れるだろう。狂ってる、という気さえする。
ちなみに、このRエンジンは後にグリフォンエンジンの原型となってゆくことになる。

シュナイダー トロフィーが終了した段階で、当時の量産型エンジン、ケストレルと、
それにスーパーチャージャーを搭載して高性能化したペリグリンの、
性能限界が見え始めて来ている事に、ロイスは気づいていた。
特にシュナイダー トロフィーで2000馬力級のエンジンの開発メドがたったのが大きかった。
量産エンジンでは、スーパーチャージャーを積んだペリグリンの700馬力がトップクラスだったから、
これはもの凄い技術的なジャンプだったのである。

そうは言っても、いきなり2000馬力級のエンジンの開発はリスキー過ぎた。
1930年代初頭で2000馬力エンジンは、まだまだ夢物語の世界だったし、
実際、世界的に見てもその本格的登場は1940年前後になってからだった。
一発屋のレースエンジンと、大量に安定した品質で造らねばならないエンジンとでは、
その技術的な困難度は全く異なるのである。

ロイスは冷静だった。完璧主義者の彼は、いきなり2000馬力には行かず、
その間を埋める、技術的な橋渡しとなるエンジンとして、
新たに1100馬力級のV12水冷エンジンを開発することを決定する。
ロイスはすでに病気療養をしながらの勤務だったが、この決定を主導したのは間違いないと思われる。

世の中は世界恐慌の余波が猛威を振るっていたし、未完成のエンジンに
資金を出してくれる相手もなかったので、この段階では、完全に自社開発となった。
なにしろ、時代はすでに高級車など必要としていなかった。
会社の生き残りのためには、航空エンジンにかけるしかなかったのである。
プライベート ベンチャーによる12気筒エンジンといった意味で、PV12という名が与えられた、
この27リッター液冷V型12気筒のPV12エンジンが、後の傑作エンジン、マーリンだった。

ちなみに、その後にRエンジンを進化させた本命の2000馬力級エンジン、
すなわち36.75リッターV12液冷グリフォンエンジンを実用化するのだが、
マーリンが過給器の進化によって、予想以上の高性能を維持しつづけ、
さらにグリフォンの本格的な登場段階では、ターボジェットエンジンの実用化がすでにスタートしてたりして、
本命視されていたグリフォンは、結局、思ったほど活用されないまま、生産を終了する。

この「本命までのつなぎ」と考えられていたものが、あれよあれよと大量生産され、
いつのまにやらこっちが本命にとって変わってしまう、という現象、
この後、スピットフィアの開発においても、あきれるほど発生することになる。
イギリス人、長期計画が苦手なのか、短気で長く待つ事ができないのか…。

ちなみに、マーリン(Merlin)、鳥シリーズの一つで、小型の鷹の名前、ということになっている。
で、知ってる人もいるかもしれないが、アーサー王伝説に出て来る魔法使い、
アーサー王の知恵袋というか後見人、ラスベガスじゃホテルの飾りにされてるマーリンさん、
実は、彼の名前も同じ綴りだ。
ちなみにマーリンは最後、惚れた女にだまされ、別世界に幽閉されて物語から退場する、
という、他人とは思えない「賢者」でもある(笑)。

でもって、ロイスが生前出演していた記録フィルムで、開発中のマーリンエンジンを説明するにあたり、
この魔法使いのマーリンを引き合いに出していた、という話があるのだ。
私自身はこのフィルムを見ていないので、なんとも言えないところだったりするが…。
ただ、実際、次のエンジン名はグリフォンで、羽こそ生えてるけど、鳥とちゃうちゃう、というネーミングとなる。
ここら辺から、少し「幻想的」な方向性での命名に方向転換していたいのかもしれない。

とりあえず、大分脱線してしまったが、これでロールス-ロイスの説明はおしまい。
でもって、次回も、多分、スピットほとんど出てこないんだよなあ…


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