ちょっと上から機体前半部をアップに。

エンジンと胴体がツライチでキレイに繋がってないのは、エンジン後部に隙間を造って冷却の空気を逃がすためでしょう。こういった段差があると乱流が産まれる、すなわち低圧部が産まれますから、その負圧でエンジン内部の空気を後方に吸引して抜く事になります。まあこの時代の流体力学だと、ホントにそこまで厳密に考えていたのか、単にエンジンの後ろに空気抜きの大きな穴を開けたかっただけなのか、微妙ではありますが。いずれにせよ、乱流が生じる以上、抵抗が生じますから、あまり褒められた設計では無いような…

エンジンのカウル上にある水滴型の凸部は、中の星型エンジンのシリンダーヘッド部を収めたもの。やけに細長いのは7気筒星型を二つ並べて14気筒にしたエンジンの、前後二列分のシリンダーヘッドの長さがあるから。

この凸部にエンジンの一番高い部分を逃がし、エンジンカウル全体を細く絞り込んで空気抵抗を下げる…という狙いで、1930年代の機体によく見られる構造です。ただし凸部の後ろには乱流が発生し抵抗が増大するはずで、多少エンジンカウルを絞り込んで前面投影面積を小さくしてもそれほど効果ないのでは…という気も。実際、この後、完全に廃れてしまいますしね、この構造。



その辺りの構造はエンジンカウル部を中から見ればよく判るかと。
手前の輪になった7本のシリンダーと奥の7本のシリンダーは全部がキチンと空気に当たって冷えるようにズラして設置され、全てのシリンダーは正面から見える形になってます。各シリンダーの頭はV字形になっており、そこに吸気、そして排気のバルブとそれを動かす機構が入ってます。前後のシリンダーを上手くずらす事で、前列右上のシリンダーヘッドと後列左上のシリンダーがキレイに前後に並び、上で見た細長い凸部に収まるようになってるわけです。

エンジン手前で放射線状に並んでる細い棒の中には各シリンダーヘッドのバルブを開閉させるためのプッシュロッドが入ってます。バルブ開閉の動力となるクランク軸がエンジン中心部にあるため、こういったやたら長いプッシュロッドを持つオーバー ヘッド バルブ(OHV)となるわけです。

ついでにカウリング前部に貼りついた銅製のオイルクーラーもよく見といてください。



尾輪は収容式ではなく、飛行時も出たままです。
尾翼周り書かれた文字はイタリア機ではおなじみのもので、一番上が単純にこの機体の名称。その下にSerie(シリーズ)という番号が入って製造時期も判るようになってる機体が多いのですが、この機体ではそれがありません。この部隊の機体は当時の写真が残っており、それで確認する限りは確かに無いので、これが正解のようです。

その下のP.V.KG.は機体の乾燥重量のkg表示、その下は燃料、パイロット、そして武装を合計した積載上限重量のkg表示。両者とも、世の中に出回ってる数字とは微妙に違うのが気になる所で、まあ、なんでもかんでも資料を鵜呑みにするのは危険、といういい例かもしれません。

参考までに胴体下にある数字、MM8146はプロペラ抜きの全長をo単位で表記したモノ、という説があるんですが、確認はできず。確かにそれに近い数字ですが…

その数字の上に開いてる丸い穴は胴体左右を貫通しており、ここに棒を差し込んで上に持ち上げて機体を水平にします。その上でエンジン整備や機銃の試射などを行うのです。万国共通で、尾輪式の多くの機体に見られるものです。



反対側から。
尾翼の白十字の中にあるのはレッジーア エアロナウティカ(Regia Aeronautica)、イタリア王立空軍の紋章。この大きさでは判らないですが紋章中の左右に見えてる棒状のものも、例のファスケースです。

余談ですが、第二次大戦中まではイタリアには王家があり、王国でした。よってその空軍はレッジーア エアロナウティカ、Regia Aeronautica、王立空軍だったのです。1946年に国民投票により王制が廃止となるまでこれは続いてます。
ちなみにイタリア王家は王家自らファシストと協力する、というスゴイことをやっており、これが戦後の王政廃止の最大要因となってます。イタリアの場合、ムッソリーニにばかり目が行きがちですが、当時の国王、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(Vittorio Emanuele III )の存在も大きいのです(ちなみに国王は元帥として形の上では国軍の最高指揮官であった。後にムッソリーニ失脚後、ドイツがこれを救出し北部でイタリア社会共和国(RSI)をその庇護下に成立させると、連合国が占領する南イタリアに逃れた国王はバドリオ元帥とイタリア王国軍を結成、内戦状態になる)。

そしてさらに余談ですが、イタリアの王室はサボイア朝、すなわちサボイア家(Casa Savoia)であり、これは紅い豚さんの乗る水上機を造ったことで知られるサボイア社のサボイアでもあります。サボイア航空機製造会社(Anonima Costruzioni Aeronautiche Savoia)は王家から資本援助を受けており、その名を使う事を許可された、とされてるのですが詳細は不明。とりあえず王家自らが航空機製造会社を経営していたわけでは無いようですが…。
ちなみに同社の設立者は、後の最後のイタリア王、1946年の戴冠直後、わずか一カ月前後で廃位されて国外追放となったウンベルトII世だった、という話もあります。ただし1913年の会社設立当時、彼はまだ9歳ですから、あくまで名義貸しだったと思われますが。

ちなみにサボイア社は第一次大戦中の1915年にSIAI社に吸収合併され、正式な社名はSIAIに変わったはずなんですが、王家の名前であるサボイアの方が通りがよく、1920年代にシュナイダートロフィーに参戦した時の多くの機体がサボイアの名で投入されたようです。 豚さんの飛行機も同様ですね。

ちなみに1922年にチーフデザイナーのマルケッティ(Alessandro Marchetti)が自分の名前を会社に加えてサボイア・マルケッティ(Savoia-Marchetti)としており、さらにイタリアの戦況が芳しくなくなった後の1943年にはちゃっかり王家の名を外してSIAI-Marchettiに改称しております。
以上、余談でした。

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