■冷却の苦労
さて、では今回はマーリンエンジン搭載ムスタング最大のヤマ場となった
冷却装置回りのトラブルのお話を。
60系マーリンエンジン、すなわちパッカード1650系に交換した事で
ムスタングはその心臓部に2段2速過給機を抱え込む事になりました。
この結果、過給機用である中間冷却器の専用ラジエターが追加され、
オイル用の冷却器、オイルクーラー(オイル用ラジエター)はラジエターから分離されたわけです。
ちなみに、この記事では過給機の吸気冷却装置を
Inter
cooler の日本語訳である“中間冷却器”としてますが、
マーリン系エンジンの場合は、After
cooler、事後冷却器と呼びます。
が、事実上、同じものですから、この記事では混乱をさけるため中間冷却器とします。
ついでにオイルクーラーも、ムスタングの説明書ではオイル ラジエターとするのですが、
これも従来の記事と揃えるため、オイルクーラーとします。
以上はご了承のほどを。
さて、この一連の変更での重量増加を嫌ったシュムードは、
従来の銅を大量に使った(熱伝導率がいいので冷える)ハリソン(Harrison)社製ラジエターをやめて
トゥレイン社(Trane)が開発に成功した高性能の軽量アルミ製ラジエーターを採用します。
(並みの恒星の爆発で造れない、超新星爆発系の元素である銅は鉄よりもさらに重いのだ。
本来なら航空機に大量に使うような金属ではない)
この点、新たに分離、新設計されたオイルクーラーに関しては資料が無いんですが、
現物を見る限り、おそらくこれもアルミ製ラジエターの可能性が高いです。
とりあえず、これによって重量増はかなり抑えられたらしいですが、詳細な数字は不明。
ただしエチレングリコールを水に混ぜた不凍液を冷却用に使う場合、化学反応が起きてしまうため、
アルミ製ラジエターは銅製の部品と併用が出来ず、このためラジエター周りから徹底的に銅が除去されます。
が、ムスタング設計チームは全く知らなかったのですが、実はマーリンエンジンは
その中間冷却器内部に銅製の部品を使用していたのでした(外からは見えない)。
この結果、思わぬトラブルを抱え込むのですが、その詳細を見る前に
マーリンムスタングの冷却装置周りを少し詳しく見て置きましょう。
■Photo US Air force/ US Air force
museum
一連の変更の結果、マーリンムスタングでは上の写真のように下部の冷却部分がドカンと巨大化しました。
理由は既に書いた通りですが、その中身はどんな感じだったの、という点をP-51D-5用の
飛行操縦説明書(Pilot's
flight operating instructions)の図で見て置きましょう。
青いのがエンジン冷却系、緑のが過給機冷却系(中間冷却器)、
赤いのがオイル系の冷却系です。
オイル冷却に関しては、後でまた別の図でも説明します。
まず青のエンジン冷却系から見て行くと、機首部最先端にあるのがラジエター用の冷却液タンク。
液冷エンジンの場合、このタンクが被弾して冷却液が無くなったらそれは全てオシマイ、
を意味しますから、その正面、プロペラスピナーとの間に防弾板が1枚入ってます。
なんで被弾に強いエンジンとプロペラの間に防弾板があるの、と思ってしまうところですが、
あの防弾板はエンジンを守るのではなく、この冷却液タンクを守るためのものです。
黒い管がエンジンラジエター系の配管で、ポンプによって冷却液をエンジンに送り込んで冷却し、
熱を持った冷却液は機体後部にあるラジエターに送られ、冷やされるわけです。
ちなみに冷却液に使われていた不凍液、
エチレングリコールの配合率は当然、気温によって異なり、
通常は水70%+エチレングリコール30%、
気温が華氏10度、すなわち摂氏12.2度以下になったら、
数字が逆転して、エチレングリコールが70%、水が30%となります。
ちなみにアリソンエンジンでは水抜きの純粋なエチレングリコールだけが使われていたようです。
この冷却液を風に当てて冷やすのがラジエター左側(向って右)の部分ですが、
これだけでは表面積が足らないので奥行きのある、分厚いラジエターとなってます。
ただし、このラジエター、中間冷却器用と均等に1/2で分割されてたわけでなく、
どうもエンジン冷却用の方が広い面積で確保されたように見えます(2/3と1/3くらい)。
が、この辺りの詳細な資料が見つからないので、断言はしませぬ。
お次は緑で示した過給機の吸気を冷やす中間冷却器用周りを。
その冷却システムはエンジン冷却とは完全に独立した系になってます。
このため循環ポンプも冷却液タンクも専用のものを持ちます。
マーリンの2段2速過給機器本体は、何度も書いてるようにエンジンの後ろにあり、
中間冷却器、その冷却液タンク、循環ポンプなどはその上と横に付いてます。
図中に緑で示されてるのは冷却液タンクで、その左の四角い箱が中間冷却器の本体。
過給器で加圧されて高温になってる吸気を、この中間冷却器で冷やし、
その冷却液は胴体後部のラジエターまで送り込まれて、
こちらは右側(向って左)で冷やされるわけです。
ちなみに冷却水は加圧水、すなわち100度でも沸騰しない系となっていましたが、
エンジン冷却と中間冷却器ではそれぞれ加圧量が異なり、
より高温になるエンジン冷却が30psi、やや温度が低い中間冷却器が20psiでした。
(沸点は気圧で決まるので高圧なら100度でも沸騰しない。
すなわち100度を超えてもまだエンジンから熱を奪い続けるので冷却効果は上がる。
ついでにpsi は圧力の単位でポンド平方インチの事。1psi=6894.76パスカル)
最後はオイルクーラー。
エンジンオイルは本来、ピストンの潤滑用に使われるもので、
エンジンの冷却を目的としたものではありませんが、高温のシリンダー内部を
循環するためオイルも極めて高温になり、冷却の必要が出て来ます。
アリソンムスタングではエンジン用のラジエターの中に埋め込まれるように
オイルクーラーが設置されていたのですが、
これが独立してその手前に置かれるようになりました。
上の図だと、左上の側面図に赤く見えてるものです。
ちなみにオイルの冷却系の配管などはこんな感じ。
基本はオイルタンクからエンジンへと流れ、シリンダー内で潤滑油として流されてから
後部のオイルクーラーに送られ、そこで冷やされたらまた戻って来る、という形です。
当然、この循環も完全に独立していて専用のポンプを持つのですが、
エンジンからの排出、そしてオイルクーラーへの送出用(Scavenger
pump)、
そしてオイルタンクから吸い出してエンジン内を循環させる用(Oil
pump)がそれぞれあったようで、
この結果、ムスタングは冷却装置のために合計四つのポンプを積んでる事になります。
下にあるのはオイルタンクの図解ですが意外に複雑な構造なのは
高高度、及び冬季運用時のための凍結防止用のヒーターがついていたり、
どんな飛行姿勢でもオイルが逆流しない工夫がされてるため。
ただし背面飛行は排出ポンプの能力限界から最大10秒が限界で、
それ以上だとオイルが切れてエンジンが焼きつきます。
まあ、普通の空中戦などで10秒間背面飛行することはまずないでしょうから、
ほとんど気にしなくていい運用制限だとは思いますが。
(ただしパイロットが空間失調に陥ってるとエライ事になるが、
少なくともそういった実例の記録はまだ見たことが無い)
ちなみに低温時、華氏40度(摂氏約4.4度)以下の場合は通常のオイルだと粘性が高すぎて、
ヒーターで温めただけでは十分な潤滑効果が出ず、
エンジン始動が上手く行かない、というかエンジンが破損する可能性が出てきます。
なので粘性の低いガソリンでオイルを希釈して、エンジンが十分に暖まるまでこれを使います。
逆にエンジンが十分に暖まった後は、希釈されたオイルでは粘性が足りないのですが、
温度が上がれば沸点の低いガソリンは勝手に揮発してしまうようになっていました。
ちなみに、この辺りもマーリンムスタングでは半自動化されており、
着陸後、エンジンを切る前に希釈スイッチをONにしておけば、
次回のエンジン始動時には自動的にガソリンが混じったオイルが
最初に送り込まれるようになってます。
ついでながら、分離されたオイルクーラーは手前の低い位置にあるので、
空気取り入れ口を覗くと外からでも見えます。
逆に言えば、普通の状態では、ここから覗いてもラジエターは見えません。
写真で奥に見えてる惰円形のものがオイルクーラーで、
四角い冷却水用ラジエターとはかなり形状が異なり、かつ、小型なのがわかるかと。
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